書評

『チャーチルの昼寝―人間の体内時計の探求』(青土社)

  • 2022/04/05
チャーチルの昼寝―人間の体内時計の探求 / ジェレミイ・キャンベル
チャーチルの昼寝―人間の体内時計の探求
  • 著者:ジェレミイ・キャンベル
  • 翻訳:中島 健
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(524ページ)
  • 発売日:1990-01-01
  • ISBN-10:4791751167
  • ISBN-13:978-4791751167
内容紹介:
自然の周期をつかさどる〈親時計〉は、動物や植物たちの〈生物時計〉と、どのように交響しあうのか。種の特性はそれぞれの種に固有の時間構造にあらわれる。人間の本質を、先端科学の最新成果を駆使して、人間に固有の時間構造から解明する画期的な論考。
哲学はまず何よりも、ベルグソンのように人間の意識とその直接の与件である内的な時間とのかかわる場所だとみなせば、この本は反哲学の場所をひろげているのだとおもう。人間の自由とは、意識が時間という宿命的な場の制約をこわし、それを超えて振舞うやり方を手に入れることだ。そんなベルグソンの基本的な考え方は、この本の時間生物学の立場では、まったく逆になる。なるほど意識は時間の制約を忘れ、自由にどんな振舞いもできるし、どんな考えも自在につくりだせるようにみえる。またそれはその通りだともいえる。でもいったん、人間を生物のひとつの種としてかんがえると、人間に生命を与えている身体内部の動きは、たくさんの時間のスペクトルによって周期と周波を繰りかえしている。身体は超多時間体で、この周期と周波を繰りかえすたくさんの時間のパターンを、逃れられないことがわかってきた。身体が逃れられないかぎり、意識もまた身体の内部で生命反応を繰りかえす多様な時間のパターンから自由だというわけにはいかない。これがこの本のかなめに当っている。しかも哲学としていっているのではなく、近年発達した時間生物学的な探求の成果をふまえて、反哲学的にくりひろげている。

この本の特徴的な考え方をひとつだけ挙げてみる。生物としての人間も、そのほかのどんな生物も、外部の環境の時間的な変化(たとえば季節の移りかわりによる気温や気候の変化)では変化しないで、ただ生物の種に固有な時間リズムを体内にもち、その時間リズムはまったく生体の内部環境できまり、どんな外界の影響もうけない部分があるという考え方だとおもう。著者によれば、これが近年の時間生物学が発見した重要なポイントになっている。これはわたしには驚きだった。でもよく考えるとそんな部分がなくてはならないはずだと合点がゆく。いまこの生体の内部で固有で変らない環境を内部環境と呼んで、外界に適応して自在に生体の状態をコントロールして変化する外部環境とを区別することにする。そうするとこの内部環境は、大部分は水分から成り、ブドー糖や、ナトリウムとかマグネシウムとかカリウムといった他の金属塩を少量含んでいる。つまりはその生物の種が、大昔に海のなかに生きていたときの海水の成分にひとしいものを、体内に液体基質としてとり込んだものなのだ。体内の細胞は血液やリンパ液として運ばれてくるこの液体基質に溶けた栄養分や酸素を摂取し、腎臓から老廃物をとり除いている。一方、体内のコンディションをコントロールしているのは神経や分泌されたホルモンだ。こんな代謝が生体のなかで行われる時間は多種多様で、生物の種が高級なほどそれぞれの部分は、それぞれで独立した時間リズムの系をつくってゆく傾向をもつ。またついでにいえば、生物の種が高級なほど、その生体内の反応に原因をもつ生物の行動は、時間のきびしい束縛から逃れる自由度を獲得している。たとえば動物の性行動は、季節による制約をうけるが、人間にはそんな制約は存在しない。

だが一方では、生物には七日間の周期でくりかえされるリズムが発見された。それは近年のことで、それまでは科学者はいっこうに気づかなかったということがある。血圧とか心搏とか感染の難易とか免疫システムの増減などに、七日間の時間リズムがあることが発見されたのは、コンピュータが膨大なデータを短時間で集積できるようになり、なみのデータではあらわれなかったパターンが、膨大な数のデータではあらわれることが見つけられるようになったからだった。生物は高級になるにつれ、その意識は生体の時間の束縛を脱して自由さを獲得するが、同時にそれまで見つけられなかった新しい生体束縛の時間を発見するようになった。その意識ではわたしたちを縛っている体内時間のリズムが、これからも新しく発見される可能性もあることになる。これは暦の七曜表が古代にエジプトでつくられたことに、無意識のうちに根拠を与えるものになっている。

ところで生体のなかでたくさんの異なった時間リズムで反応をくりかえしている時間をコントロールしている中枢の親時計がどこかにあるのだろうか。著者は近年の時間生物学は、二つのペースメーカーになる時計が脳内にセットされていることを確定しそうになっていると述べている。この二つのペースメーカーの時計は「X」と「Y」と呼ばれ、「Y」ペースメーカーは脳の視床下部の視索上核にあり、休息と活動のサイクル、皮膚表面の体温の変化、カルシウム排出のリズム、脳下垂体の成長ホルモンの分泌などをつかさどり、「X」時計は位置はまだ不明だが、体内深部の体温の調節、睡眠中の夢、血液のコルチゾルの量の増減、カリウム排出などをコントロールしている。「Y」ペースメーカーは昼夜や照明の明暗に感応し、「X」ペースメーカーは外部の明暗には左右されないで安定している。光のない洞穴に数ヵ月も住みついて実験したところによると、「X」時計のほうはだいたい二十五時間を一日の周期として動かなかったが、「Y」時間の方は、四十五時間から五十時間を二度含んで、だいたい二十五時間から三十二時間の周期で自由に変動した。いいかえれば「X」の時計と「Y」の時計は、光がかよわない環境ではそれぞれのテンポに分離してくることがわかる。光は眼の網膜に物の形と輪郭と凹凸と明暗と色彩をおくりつけるが、その一部分は、時間を明と暗の度合として視索上核の時計におくり、一昼夜(概日)周期のどこかに位置づけて、それに見あった体温や脈搏やその他の生体のなかのリズムの時間変動をコントロールする作用をおこなっている。光はそういう生体内の化学変化を起させる時間の信号でもある。そして光と生体の化学変化と時間の変動とを連結しているのは、脳の視床下部にある視索上核と松果体との小さな経路だと著者は指摘している。季節と関係がふかく、皮膚の毛の色を春秋で変えたり、冬は冬眠したり、北と南で渡りをやったりする生物は、松果体が大きくなり、そういう生物にとっては生体の時間リズムが大切だということになる。おなじように脳の側部湾曲核と視索上核をつなぐ経路は、最近になってニューロペプチドYという物質によって暗さのパルスが持ちこまれることがわかってきた。こう考えると光の明暗の変化は、物質の化学変化と対応しているから、ある薬剤は光とおなじ作用を生体の内部で果たすことで、光とおなじ役割で使えるようになってきた。

おなじことを精神の病気にあてはめることができる。鬱病は時間の病気ともいえる。短周期では眠りと目覚めの昼夜(概日)周期が乱れ、長周期では春夏秋冬の季節で時間の周期が乱れてズレてくると鬱病になってくる。患者は朝早く目覚め、夕方より朝方が気分がうっとうしい。また季節では晩春と秋に発病しやすくなる。これは視床下部にある時間システム、視索上核、側部湾曲核、松果体の働きと関係している。もしあるひとつの薬剤が脳のこの個所でコントロールされる光の明暗のリズムやそれに伴う睡眠と目覚めのリズムの乱れやズレを調整できれば、鬱病は治ってくるはずだ。そしてこれは事実、鬱病の治療の原則になっている。著者の説明では、鬱病の患者は朝はやく目覚めると、もう眠れなくなってじっと横になって一日ふさぎ込んでいる。そんなときは弱い「Y」ペースメーカーのもとでの休息と活動の昼夜(概日)リズムが異常にすすんでいるので、気分が夕方になるとよくなるのは、強い「X」ペースメーカーのもとにあるホルモン分泌や体温の変化のリズムが遅れがちになるからだ。この眠りと目覚めのリズムを回復させることが治療には大切になってくる。もうひとつは眠りの長さや深さだけではなくタイミングが大切で、昼夜(概日)のサイクルのなかに眠りに敏感な時間帯があり、それと眠りのタイミングが合致するかどうかが重要になってくる。鬱病までいかなくても、航空機のような高速度の移動によって起る時差ボケのような場合でも、薬剤による昼夜(概日)のリズムの位相をすすめたりおくらせたり移動できれば、時差ボケを無くすことができるようになる。

ごく最近になって、母親の胎内にある胎児期に、胎児は母親の昼夜(概日)のリズムに同調したリズムを認知することが判ってきた。動物の胎児でもおなじで、ブドー糖の代謝に毎日のリズムがあることが知られてきた。また受胎してから出産までの長い期間にも全体的な時間の目盛りは、厳格にセットされており、それが昼夜(概日)ごとのリズムと一緒になってこの胎内の期間に複合したその生物種に固有なリズムを与えている。これは生体からみた自由度の少なさは、生物の種がながい進化の過程で生きのこってくるあいだに身につけたものだと解釈できるはずだ。この生体に厳格な時間のコントロールによって、かえって精神や行動の自由や有効さや強さが保証されているのだというのが、本書の著者の考え方になっている。

著者はミツバチを例にして、あまり賢くない生物ほど、とても厳格な時間コントロールのもとにあり、またそれによって驚くほどの優れた選択力をもつことを説明している。

ミツバチは花の色が黄色か緑か青かを区別できるし、花の中央からの紫外線をみつけるし、指定の花の近くの目印も記憶する。またおなじ花の香りを識別するといった驚くほどの能力ももっている。だがこの能力を獲得できるのは、驚くほど短い時間帯に限られる。たとえばミツバチがたくさんの花の香りのなかから特定の香りを記憶するのは「実際にその花に止っている間に限られる」。またミツバチは一時に一種類の花の蜜だけを集めるので、その花の色をおぼえていなければならないはずだ。だが「花にとまる直前のわずか二秒間だけでその色を憶えるように」時間のプログラムは生体の内部であらかじめ決定されている。また花の近くの目印をおぼえられるのは「花から飛び去るきわどい極めて短い時間だけ」にかぎられることがわかる。さらに巣箱の入口をおぼえるために、まわりの物の特徴をおぼえていなくてはならないのだが、これは「朝はじめて飛び出した時に限って」記憶できるようになっている。だから箱の角度を90度かえておくと、かえってきたミツバチは巣にはいれないでとまどったりすることになる。

なぜこんなふうに生物の時間コントロールはできているのか。著者によれば、時間を厳密にコントロールすることで適切さを欠いた精神や身体の活動は抑えるようにし、それによって適切な活動だけを強化して行えるように、脳の作用を余計な遠まわりで無駄使いしないようにしていることになる。この本に理念があるとすれば、これが著者のいだいている理念だといっていい。もっと突込んでいえば、生物としての人間を含めて、生物はすべて、自発的に意志をもってある行動や精神の働きをやっているようにみえても、じつは体内にあらかじめセットされた種に固有な時間のプログラムにしたがって行動していることが、じつにおおい。これから時間生物学がもっと発達すると、さらにそんなことが判ってくるにちがいない。わたしたちがこれだけは精神の独立王国だ、精神は諸王のうちの王だとかんがえて大事に囲い込んでいることも、じつはたんなる生物の種としての振舞いなんだということになってきて、どんどん精神の王国は侵蝕されてゆくだろう。まるで都市が農村を侵蝕してゆくように。そしてほんとうの精神作用とほんとうの自由を知らないし、考えたこともないひとたちのあいだに、どんどん恐慌が起り、迷蒙のほうへ脱落してゆくにちがいない。現にそれは起っている。わたしたちはたくさんの賢いふりをした迷蒙と、つぎつぎに訣別しつつあるのだ。この本はじつに易しい記述で一見啓蒙的にみえるが、著者が無意識のうちに繰りひろげている理念(というよりも時間生物学の発達)のひろがりは、かなりスリルとショックに溢れていて、いかもののエチカ(倫理)をつぎつぎ払い落すだけの潜在力をもっている。

わたしたちは、生物としての人間という種の制約と、身体の制約を決定的にもちながら、どこに自由の本質を求めていけばいいのか。それは生体内の時間の分布と、宇宙の自然時間のはざまで、どうやってそれらの時間概念を超えるかということと同義になっている。このあたりで、この本の著者との別れがはじまるようにおもえる。

【この書評が収録されている書籍】
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇  / 吉本 隆明
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇
  • 著者:吉本 隆明
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:文庫(273ページ)
  • ISBN-10:4122025990
  • ISBN-13:978-4122025998

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チャーチルの昼寝―人間の体内時計の探求 / ジェレミイ・キャンベル
チャーチルの昼寝―人間の体内時計の探求
  • 著者:ジェレミイ・キャンベル
  • 翻訳:中島 健
  • 出版社:青土社
  • 装丁:単行本(524ページ)
  • 発売日:1990-01-01
  • ISBN-10:4791751167
  • ISBN-13:978-4791751167
内容紹介:
自然の周期をつかさどる〈親時計〉は、動物や植物たちの〈生物時計〉と、どのように交響しあうのか。種の特性はそれぞれの種に固有の時間構造にあらわれる。人間の本質を、先端科学の最新成果を駆使して、人間に固有の時間構造から解明する画期的な論考。

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初出メディア

マリ・クレール

マリ・クレール 1988年12月号

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