書評

『オランダ構造人類学』(せりか書房)

  • 2023/01/11
オランダ構造人類学 / ヨセリン=デ=ヨング他
オランダ構造人類学
  • 著者:ヨセリン=デ=ヨング他
  • 翻訳:宮崎 恒二
  • 編集:宮崎 恒二
  • 出版社:せりか書房
  • 装丁:単行本(511ページ)
  • 発売日:1987-12-00
  • ISBN-10:4796701524
  • ISBN-13:978-4796701525
内容紹介:
精緻な分類体系と構造的思考を展開する驚くべきインドネシアの文化形態をワヤン、占い、遊戯、建築などに探り、レヴィ=ストロースに先行する輝かしきオランダ構造主義の成果。
『オランダ構造人類学』というこの本の名前には、ふたつの意味がこめられているとおもう。ひとつは収められた論文の舞台野(フィールド)が、旧オランダ領インドシナ、つまりジャワ、スマトラ諸島の周辺だということだ。もうひとつはマルセル・モースとデュルケムの学派からレヴィ=ストロースにしぼられてゆくフランスの構造主義人類学の影響の下に、旧オランダ領インドシナ周辺の島々の習俗、社会、文化の構造が分類されたり、解析されたりしていることだ。この地域は申すまでもなく、今から四十年ほど前、太平洋戦争のさ中に、日本軍と日本人がオランダ軍とオランダ人を追い払って、ある期間占領し、支配していた島々だ。オランダの太平洋地域の植民地の歴史は、この本の主題にかぎっていえば、オランダ人類学の成果を産み出したことになる。ところで日本軍と日本人はジャワ、スマトラ海域の島々を占領し、支配した期間に、ジャワ社会の習俗についてなにひとつ調べようなどとしたことはなかった。たくさんの軍人や軍属知識人が押しだしていったし、そのなかには民俗学や人類学の学徒もいたかもしれないのに、戦争悪のなかですこしでもそれを学問の成果に転化しようとしなかった。これはどんなことよりもなさけない感じだ。佐藤春夫の「バリ島」(昭和二十年)が、現在わたしたちの眼に、すぐに入ってくるこの地域について書かれたただひとつのものだ。この本の著者たちは植民地時代にジャワ人とジャワ文化とジャワ社会に接触して、すくなくともそこにジャワという構造が存在するかどうか、存在するとすれば、どこの地域の文化や社会と近縁関係にあるかを、冷静に解明しようとしている。わたしたちが四十年前に毎日のように戦火の報道を介して、その地名に親しんだことのあるこの地域が、どう解剖されているのかに、たいへん関心をもって、この本を読んだ。もうひとつの関心をもったことがある。もしかしてわたしたちの日本列島の古い習俗や文化や社会の構造を、外から類縁の光で照らしだしてくれる要素がありはしないかということだ。

この本の著者たちの拠っている根本的な理念はモースとデュルケムの『分類の未開形態』だといえよう。わたしたちが現在やっているような形式論理的な分類の仕方と、未開社会で行われている分類との根本的な相違はどこにあるかといえば、未開の分類が、人間も植物も動物も昆虫も、大地も天空も雲や風も、すべてを、論理的な階程や次元の相違をべつに設けずに、渾然と融けあった宇宙の同列の要素とみなしていることだ。そこではある氏族の人間の祖先がアザラシであっても、ネズミであっても、椰子の木であっても不思議はないし、分類AがBをすこし融け込ませていても、分類BがAをすこし混融していても、その分類は意味深いものでありうる。またそれはあいまいさとは似ても似つかないもので、わたしたちが階程や次元の相違に帰してしまうものが、もともと融即の状態でしか分類として成り立っていないからだ。モースとデュルケムが考えたこの未開的な分類の原則は、この原則を適用した著者たちにジャワ周辺社会とジャワ周辺文化のなかに潜んでいる類別の基本構造を発見させることになっている。ひと口に著者たちがジャワ、スマトラ周辺のインドネシア諸島で発見した分類の構造、いいかえればジャワという構造は、たとえばひとつの村落があるとすると、その村落を中心にとれば、かならず四つの方位(東西南北)に当る村落を連関する村落として択んで、いわば習俗を連結する。また宮廷で王が中心の座を占めるとすると、かならず四つの方位に四人の大臣を配位するように座が設けられる。また中心を頭になぞらえれば、四つの方位は、それぞれ両脚と両腕を表象するし、またこの四つの方位はインドネシアの四つの基本色である赤、緑、黄、黒を表象するものとなる。著者たちはこのジャワの配位構造を四―五の図式(四つの方位と一つの中心)と呼んで、すでに地域によっては表面から消失してしまっている場合でも、この分類原則は、ジャワの習俗、文化、社会の基本的な構造として潜んでいることを発見している。著者たちによれば、この四―五の図式は、本質的にいえば二―三という図式(相対する二つと、中心〔中間〕の一つ)に還元され、これがジャワ、スマトラ海域の島々の文化や神話や習俗から社会にいたるすべての基本構造をなしていると指摘している。この本の主要な論文の構成者であるヨセリン=デ=ヨングが与えている結論をつけ加えれば、もうひとつ、部族を構成しているのが、共通の男性始祖をもった父系氏族と共通の女性始祖をもった母系氏族であり、お互いに婚姻(外婚)のきずなで結びついている。あるひとつの氏族を中心にしてかんがえれば、この氏族はある特定の別の氏族に女性を与え、また別の特定の第三の氏族から女性を受け取る(二―三の図式)関係に。この氏族の「間」を横断する結びつきと、さきのひとつの中心は、四つの方位にそれの連結手を求めるという原則とが、古代インドネシア社会や文化の構造を支配しており、これが現代でも潜在的にもっているジャワの大構造になっているとかんがえている。この本の著者たちが発見したジャワという構造はここに集約されるようにおもえる。

著者たちはさらに微細にこのジャワという構造を解き明かそうとしている。それをもうすこし追ってみる。第一にジャワ社会の基層構造は最小限では三つの氏族で閉じた環をつくれる婚姻関係によって縁組みの共同体をつくっている。またそれは生活共同体としてみれば三対で小さな社会単位をなしている。中心(中間)の氏族をもとにしていえば、この氏族はひとつの他の氏族に女性を嫁にだし、女性の財を贈与し、また相手からは男性と男性の財を受け取ることになっている。もうひとつ別の氏族に対しては、いまと逆の贈与と交換を行うことになる。第二にこうしてそれぞれの氏族は女性を嫁としてもらう方の側が、女性を嫁として与える方の氏族に対して下位におかれる。そして下位の氏族は上位の氏族の意志や干渉に従う義務を負っている。ところでいまここに新たな氏族がひとつ、この三対の縁組み共同体に加わったとすれば、三対はもうひとつの三対を増加させることになる。第三にジャワという構造ではこの三対の氏族の縁組み共同体にたいして、それを横断するように、もうひとつの共同体原理が交錯している。それは外婚的な二つの胞族に分割されるということだ。この二つの胞族は氏族とちがってお互いに一方向的でない完全な縁組み関係があり、互酬的で、対等で、協同的であるが、競争意識や対立も伴うし、またそれとなく一方の胞族が優位に立ち、他方の胞族が女性的で劣位におかれるといった傾向が、つくり出されている。三対の氏族共同体の原理と、それを横断する双分的な二つの胞族の原理とが併存するためには、最小限で四つの氏族があればよいことになり、そのため氏族の数は偶数個で展開されるというのが、ジャワという構造の理念に当っている。

この本を読むと、著者たちのオランダ構造人類学が、ジャワ、スマトラ海域の島々の未開構造として発見したものは、基本的にいえばいままで要約してきたところに尽きるようにおもえる。太平洋戦争の期間中に著者たちの舞台野(フィールド)の地域は、ある期間日本軍と日本人に占領され、支配されていた。でもわたしたちはどんな学徒兵からも、報道班員のジャーナリストや学者や知識人からも、原住ジャワの構造について何も根拠ある情報や知識を得たということはなかった。この地域が、早い時期にインド的ヒンズー教の影響の波をかぶり、そのあとからオリエント的なイスラムの影響を被覆されて現在にいたっていることを知るようになったのも、ほんの数年まえにいわゆる「バリ島」ブームがあったときが、戦後はじめてであった。それに比べればオランダのジャワ、スマトラにたいする植民地支配は、それ相当のネーペン・プロダクツを産み落としていることが、この本を読むと、とてもよくわかる。

わたしの勝手な受け取り方では、レヴィ=ストロースの構造主義人類学的な思考がもたらしたいちばん効果的な特徴は、未開の原理において、一見するとまったく正反対にみえる制度(たとえば母系制と父系制)や習俗(方位、色彩、吉凶、卜占、生死観)が同時に並存しているようにみえるとき、一方が歴史的な遺制で一方が現に能動的な新しい原理だとみなす解釈を退けて、それが階程と次元を異にする原理として、矛盾なしに理解できる余地がありうることを示唆した点にあった。この形式論理的な階程や次元の相違と分類の原理は、この本の著者たちによって、いたるところで適用されて、すでに多くは埋もれてしまったジャワの習俗と社会の組織のなかから、基本的な構造の存在を浮き彫りにすることを成功させている。著者たちの発見がどこまで正鵠を得ているかに言及する資格を、わたしは持ちあわせていない。だがこの本の著者たちのフィールド・ワークの場所は、あの戦乱のさ中に毎日のようにその地域名を耳にした島々だ。そしてヒンズーとイスラムの外部からの被覆をうけた島々と、中国経由の仏教と儒教の外部からの被覆をうけた島々との相違はあっても、わが国の南方系の構造は、この地域とたくさんの類縁性がかんがえられるはずなのだ。わたしはある意味で眼を皿のようにして、この本の著者たちの手さばきとその成果に注意を集中しながら、この本を読んだ。残念だがわたしたちの日本列島の習俗についての知見と、著者たちのジャワ構造の追究の成果とは、まだ接舷点をもつまで距離が縮まっていない。それがこの本への感想だった。もうひとつ触発されたことがある。日本列島の未開構造はいまでも完全に再構成できる可能性があるし、その追究はいろいろの視角から、つづけられているともいえる。だがこの本の舞台野(フィールド)になっているジャワ地域にくらべれば、歴史になった当初から大部分が痕跡と破片しか遺されていないほど解体が進行していたにちがいないことがわかる。それほど宗教としての中国仏教の流入と地勢原理と結びついた道教の影響が圧倒的なところからわが歴史は始まった。だが著者たちが使っている構造という概念による次元解析の方法と、未開の分類形態がもっている融即の原理を、巧妙に使い分けることができれば、まだ奥深くまで行けるのではないかと感じさせる。氏族がすべて父系親族と母系親族の区別をもっていて、ひとりの氏族員は父系と母系に二重化された氏族の何れにも所属しており、父系的に組織された部族の近くに、母系的に組織された部族が存在することがありうるという著者たちの考え方に、とても感興をそそられた。

【この書評が収録されている書籍】
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇  / 吉本 隆明
言葉の沃野へ―書評集成〈下〉海外篇
  • 著者:吉本 隆明
  • 出版社:中央公論社
  • 装丁:文庫(273ページ)
  • ISBN-10:4122025990
  • ISBN-13:978-4122025998

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オランダ構造人類学 / ヨセリン=デ=ヨング他
オランダ構造人類学
  • 著者:ヨセリン=デ=ヨング他
  • 翻訳:宮崎 恒二
  • 編集:宮崎 恒二
  • 出版社:せりか書房
  • 装丁:単行本(511ページ)
  • 発売日:1987-12-00
  • ISBN-10:4796701524
  • ISBN-13:978-4796701525
内容紹介:
精緻な分類体系と構造的思考を展開する驚くべきインドネシアの文化形態をワヤン、占い、遊戯、建築などに探り、レヴィ=ストロースに先行する輝かしきオランダ構造主義の成果。

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初出メディア

マリ・クレール

マリ・クレール 1988年3月

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