書評
『ブックライフ自由自在 荒俣宏コレクション2 本の愛し方 人生の癒し方』(集英社)
このたび、書評雑誌『BOOKMAN』に九年間にわたって連載されていた荒俣さん(いつものようにこう呼ばせてください)の『ブックライフ自由自在』が、ようやく一巻にまとめられた。この連載は荒俣さんが手に入れた稀覯本のことを感動をこめて語る部分もさることながら、そのために耐え忍んだ超人的禁欲生活が随所に描かれているので、本になる前から話題を呼んでいたものである。アラマタ伝説の多くはこのエッセイから生まれたといっても過言ではない(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1992年)。
本を手にして、まずは腰巻のキャッチ・コピーに感じいった。いわく「本の探検者たちに捧ぐ! 明日は神田かロンドンか。珍本奇本を求めて幾星霜。ご存じ、本の怪物・荒俣宏が初めて語る、聞くも涙、語るも涙のブックライフ。ああ、今日もまた空しく日が暮れてゆく……」。
まさに内容を語り切って間然するところがない。本書を手に取った読者で多少とも本に愛着を持つ人間なら、本当に、涙なしには全巻を読み通すことはできないだろう。
荒俣さんは、本書の連載が始まった一九八三年九月の時点ですでに「肩に革カバン、両手にショッピング・バッグ」という定番スタイルを確立し、十五キロの古本を毎日運んで、「歩く宅急便」と異名を取っていたようだが、それでもまだこの頃には、天下の奇書、ショイヒツァーの『神聖自然学』をクォリッチのカタログに見つけて、「これだと約百五十万円ぐらいで、わが年収の三分の一強にはなる。(……)しかし、百五十万円というのはさすがに大金すぎて腰が抜ける」と、あとから考えると可愛らしいことを書いている。
だが、八四年の暮には「現在三十七歳独身、負債百二十万円余、先の見通しさらになし」と記しながらも、収集範囲は早くも博物学から旅行記、科学書、解剖学と拡大の傾向を見せ始め、収入を無視した買い物が開始されている。『帝都物語』は八五年から刊行されているが、この年の暮には、まだ収入の爆発的増加はないらしく、身を削って古書を買う禁欲生活が一段と厳しさを増す。
「今年の冬もまたオーバーやコートも買えず、秋口からずっとそのままの服で押し通さねばならぬかと思うと、悲しくなるのだ。世あらたまる正月の午(ひる)なぞに、喫茶店にもはいれずに公園の陽だまりでハナ水すすりながら絶滅鳥類についての大図鑑を繰っている貧しい男をあなたはきっと見かけるであろう。人間、一道に精進しつづけるのはつらくみじめなものだ」と、なんとも悲しげな記述が目につく。収入の全額を古書につぎ込んでいるから、当然、食事はほうじ茶にカンパンか即席ラーメンで済ませ、訪れた奥本大三郎さんに五年前の醬油(しょうゆ)を出して顰蹙(ひんしゅく)される、といった生活である。もちろん、ほとんど寝ていないのだろう。その結果、『世界大博物学図鑑』の執筆に取り掛かった八六年には体を痛め、入院を余儀なくされる。
ところが、八七年に入ると『帝都物語』がベストセラーとなり、「荒俣宏」の名前は一躍、超売れ筋ブランドとなる。長いあいだ夢みていたウルトラ級の稀覯本を思いのままに買いまくるという生活がいよいよ実現しようとしているのだ。しかし、予算は飛躍的に増えたが、古書購入の欲望もまたとてつもなく肥大する。その結果、何倍にも膨らんだ執筆依頼をこなしつつ、海外のオークションで「何百万円もするような本を百冊も二百冊も買い込む」という日々が続き『大博物学図鑑』の執筆もあって、荒俣さん個人に属する時間もゼロになってしまう。もはや自宅にも帰らず、初めは死体置場のようなカプセルホテルで、ついで平凡社の床でゴザに布団も掛けずに寝泊りするという、あの伝説的な日常が始まる。こうなると、「荒俣宏」が本を買い、本を書くのではなく、何か人知を越えた力が、「荒俣宏」という特権的な肉体を選びだし、これに思いもよらぬ大金を与え、本を買わせ、本を書かせているとしかいいようがない。
こうした涙せずにはおられない述懐を聞くにつれ、世間で言われているのとは逆に、愛書家という言葉ほど、荒俣さんにふさわしくないものはないような気がしてくる。さりとて、収集家という狭い定義で、この超人のとてつもない情熱が収まるわけでもない。
本書を通読したときの印象からいえば、荒俣さんのパッションは、十八世紀や十九世紀にとても人間業とは思えないような大旅行を成しとげ、それを巨大な書物に封じ込めたキャプテン・クックやデュモン・デュルヴィル、フンボルトなどの偉大な探検家のそれに近いのではないか。すなわち、彼らの著作の収集に執念を燃やす荒俣さんは、これらの探検家たちが未開の地で想像を絶する苦難に遭いながら、それを乗り越えて世界の驚異をペンと絵筆でかきとめ、それを報告書にまとめあげたのと同じように人間的な欲望を一切断ち、もてる情熱のすべてを傾けて世界中から稀覯本を収集し、稀覯本に長いあいだ封印されていた驚異を解き放って、これらを我々凡俗のもとに届けてくれたのである。ひとことで言えば、荒俣さんは、腰巻のコピーにあるとおり、「本の探検家」以外のなにものでもないのだ。
だが、なぜ、荒俣さんは本物の「探検家」にならずに、「本の探検家」あるいは「探検家の探検家」になったのだろうか。これが以前から私が抱いていた疑問だったのだが、この本には、これに対する答がちゃんと用意されていた。
これで、荒俣さんが生物学者にならず、「博物学の博物学」を創始したのも説明がつく。だが、その意味では「古書」というものはすべて、いま死んでしまった「昔の《新しいこと》」にほかならないのではなかろうか。そして、この、あらかじめ冒険も探検も失われてしまった現代において、荒俣さんの心に火を灯(とも)すものがあるとしたら、それはやはりこの古書しかないのだ。たとえ、それを手に入れ、読んだからといって幸福になれるとは限らないとわかっていても。
荒俣さん! 頑張ってください。いやちがった、どうか頑張らないでください! そして、お体を大切にしてください。もはや神によって選ばれた「荒俣宏」は、荒俣さんだけのものではなくて、それこそ人類共通の財産なのですから。
【この書評が収録されている書籍】
本を手にして、まずは腰巻のキャッチ・コピーに感じいった。いわく「本の探検者たちに捧ぐ! 明日は神田かロンドンか。珍本奇本を求めて幾星霜。ご存じ、本の怪物・荒俣宏が初めて語る、聞くも涙、語るも涙のブックライフ。ああ、今日もまた空しく日が暮れてゆく……」。
まさに内容を語り切って間然するところがない。本書を手に取った読者で多少とも本に愛着を持つ人間なら、本当に、涙なしには全巻を読み通すことはできないだろう。
荒俣さんは、本書の連載が始まった一九八三年九月の時点ですでに「肩に革カバン、両手にショッピング・バッグ」という定番スタイルを確立し、十五キロの古本を毎日運んで、「歩く宅急便」と異名を取っていたようだが、それでもまだこの頃には、天下の奇書、ショイヒツァーの『神聖自然学』をクォリッチのカタログに見つけて、「これだと約百五十万円ぐらいで、わが年収の三分の一強にはなる。(……)しかし、百五十万円というのはさすがに大金すぎて腰が抜ける」と、あとから考えると可愛らしいことを書いている。
だが、八四年の暮には「現在三十七歳独身、負債百二十万円余、先の見通しさらになし」と記しながらも、収集範囲は早くも博物学から旅行記、科学書、解剖学と拡大の傾向を見せ始め、収入を無視した買い物が開始されている。『帝都物語』は八五年から刊行されているが、この年の暮には、まだ収入の爆発的増加はないらしく、身を削って古書を買う禁欲生活が一段と厳しさを増す。
「今年の冬もまたオーバーやコートも買えず、秋口からずっとそのままの服で押し通さねばならぬかと思うと、悲しくなるのだ。世あらたまる正月の午(ひる)なぞに、喫茶店にもはいれずに公園の陽だまりでハナ水すすりながら絶滅鳥類についての大図鑑を繰っている貧しい男をあなたはきっと見かけるであろう。人間、一道に精進しつづけるのはつらくみじめなものだ」と、なんとも悲しげな記述が目につく。収入の全額を古書につぎ込んでいるから、当然、食事はほうじ茶にカンパンか即席ラーメンで済ませ、訪れた奥本大三郎さんに五年前の醬油(しょうゆ)を出して顰蹙(ひんしゅく)される、といった生活である。もちろん、ほとんど寝ていないのだろう。その結果、『世界大博物学図鑑』の執筆に取り掛かった八六年には体を痛め、入院を余儀なくされる。
こういうことを続けていたからこそ、気がついたら孤独で病がちな初老の男になっていたわけなのだ。くれぐれも書いておきますが、本をたくさん買ったり読んだからといって、充実した黄金の生涯を送れるわけじゃあないのです。
ところが、八七年に入ると『帝都物語』がベストセラーとなり、「荒俣宏」の名前は一躍、超売れ筋ブランドとなる。長いあいだ夢みていたウルトラ級の稀覯本を思いのままに買いまくるという生活がいよいよ実現しようとしているのだ。しかし、予算は飛躍的に増えたが、古書購入の欲望もまたとてつもなく肥大する。その結果、何倍にも膨らんだ執筆依頼をこなしつつ、海外のオークションで「何百万円もするような本を百冊も二百冊も買い込む」という日々が続き『大博物学図鑑』の執筆もあって、荒俣さん個人に属する時間もゼロになってしまう。もはや自宅にも帰らず、初めは死体置場のようなカプセルホテルで、ついで平凡社の床でゴザに布団も掛けずに寝泊りするという、あの伝説的な日常が始まる。こうなると、「荒俣宏」が本を買い、本を書くのではなく、何か人知を越えた力が、「荒俣宏」という特権的な肉体を選びだし、これに思いもよらぬ大金を与え、本を買わせ、本を書かせているとしかいいようがない。
三番町の出版社で夜警代わりに徹夜の原稿書きをはじめて、なにやかやで早六年。その間にぜひとも入手したいと神仏に祈っていた本は、おおむね全部わが手に落ちたものの、気がつけばわが身は泥川に浮かぶボロ切れも同然。自由自在とは、とんでもない話で、結局のところ本の奴隷にされて二十年間の強制重労働を科せられたようなものだった。
うなじをポンと叩いたとき、その反動で思わず涙がこぼれた。だれもいない出版社のビルで、ぼくはあと幾百晩、孤独な夜をすごさなければならないのだろうか。
こうした涙せずにはおられない述懐を聞くにつれ、世間で言われているのとは逆に、愛書家という言葉ほど、荒俣さんにふさわしくないものはないような気がしてくる。さりとて、収集家という狭い定義で、この超人のとてつもない情熱が収まるわけでもない。
本書を通読したときの印象からいえば、荒俣さんのパッションは、十八世紀や十九世紀にとても人間業とは思えないような大旅行を成しとげ、それを巨大な書物に封じ込めたキャプテン・クックやデュモン・デュルヴィル、フンボルトなどの偉大な探検家のそれに近いのではないか。すなわち、彼らの著作の収集に執念を燃やす荒俣さんは、これらの探検家たちが未開の地で想像を絶する苦難に遭いながら、それを乗り越えて世界の驚異をペンと絵筆でかきとめ、それを報告書にまとめあげたのと同じように人間的な欲望を一切断ち、もてる情熱のすべてを傾けて世界中から稀覯本を収集し、稀覯本に長いあいだ封印されていた驚異を解き放って、これらを我々凡俗のもとに届けてくれたのである。ひとことで言えば、荒俣さんは、腰巻のコピーにあるとおり、「本の探検家」以外のなにものでもないのだ。
だが、なぜ、荒俣さんは本物の「探検家」にならずに、「本の探検家」あるいは「探検家の探検家」になったのだろうか。これが以前から私が抱いていた疑問だったのだが、この本には、これに対する答がちゃんと用意されていた。
“最初”体験が好きならば、ワープロでもゲームでもハイテクでも次々に市場にあふれてくる物を相手にすればよいのだ。(……)しかし、同時代文化の最大の難点は、われわれに体験された文化ショックがどのように変容され、どのように陳腐化し、またどのように商品化されたかという『時系列の展開』をともなっていないことなのだ。不安な中年の子羊は、とてもぜいたくな物好きだから、“最初”体験のその後の発展から死滅までを辿り切れなくては満足しない。そうすると昔の『新しいこと』を取りあげるほかに方法がないのだ。
これで、荒俣さんが生物学者にならず、「博物学の博物学」を創始したのも説明がつく。だが、その意味では「古書」というものはすべて、いま死んでしまった「昔の《新しいこと》」にほかならないのではなかろうか。そして、この、あらかじめ冒険も探検も失われてしまった現代において、荒俣さんの心に火を灯(とも)すものがあるとしたら、それはやはりこの古書しかないのだ。たとえ、それを手に入れ、読んだからといって幸福になれるとは限らないとわかっていても。
ただ――ひとつだけ、死にゆくときである秋に心なぐさめられるものがあるとすれば、枯れ枝に実った黄金の果実のごとき古書だ。そういう古書を、毎秋、たった一冊でいいから手に入れたい。次の一年という散文的な海を廃船のようによぎるためには、ほんのかすかな涼風が要るのだ。
荒俣さん! 頑張ってください。いやちがった、どうか頑張らないでください! そして、お体を大切にしてください。もはや神によって選ばれた「荒俣宏」は、荒俣さんだけのものではなくて、それこそ人類共通の財産なのですから。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする