書評
『昭和ジャズ喫茶伝説』(平凡社)
ジャズ喫茶が殷賑をきわめていた時代というものがあった。
扉を開くと、煙草の煙の立ちこめる薄暗い空間から、いっせいに大音響が襲いかかってくる。巨大なスピーカーから流れてくるトランペットとテナーサックス、ドラムス。客たちは一杯のコーヒーを前に音楽に耳を澄まし、というより圧倒的なその音量をシャワーのように浴び、沈思黙考に耽ったり、そうでなければサルトルやカミュの書物と格闘したりする。声高くお喋りをすることは禁物だ。万事においてストイックに振舞うことが、暗黙の掟である。
戦後しばらく、ジャズを聴くにはラジオしかないという時代が続いた。国内版のジャズ・レコードはパラパラと発売されるばかりだった。もちろん来日する本場のミュージシャンもありえない。そのため貴重な輸入盤を集めて、ジャズ愛好家のために実演に少しでも近い雰囲気で供しようという試みがなされ、それがジャズ喫茶の起源となった。やがて1960年代に入ると、ジャズ・メッセンジャーズが来日し、それに刺激されて東京でも本格的なジャズ演奏者が輩出する。ジャズをめぐるジャーナリズムが胎動し、ジャズ喫茶がいたるところに出現するようになる。本書はその時期にジャズ批評家として出発し、40年間にわたって歌謡曲から新内、浪曲、落語まで、日本の歌舞音曲を一手に論じてきた平岡正明が、みずからのエクリチュールの原風景であった場所をめぐって書き続けたエッセイである。
新宿二幸裏の「DIG」、歌舞伎町の「ジャズ・ヴィレッジ」「きーよ」、渋谷百軒店の「スイング」「SUB」「BYG」、有楽町の「ママ」、高田馬場の[マイルストーン」……。1968年に高校生であったわたしにも聞き覚えがあったり、実際にいくたびも足を運んだことのある店が次々と登場し、そのオーディオの機種をはじめ、個性ある雰囲気が語られてゆく。とりわけ深く描きこまれているのが、新宿東口の日活系二番館の手前にあった「汀」だ。石油ストーヴの臭いに包まれて、尻を暖めながら聴いたファンキージャズ。もっともその直後、著者は戸塚警察からかの伝説的な『赤い風船』事件で指名手配され、この店にもガリ版刷りの手配書が配られてきたりする。これは知らない人もいると思うので解説しておくと、1963年、平岡がその名も挑発的な「犯罪者同盟」という集団を結成したのに慌てた官憲が、そのメンバーの一人が書店で万引きしたことを契機に、彼らを一網打尽にしようとした事件のことである。
1967年、『ジャズ批評』創刊号が刊行されたとき、その発売元は銀座松坂屋裏にあった「オレオ」であり、鰻の寝床に似た細い室内の、トイレ側の隅にいつも陣取っていた常連たちが執筆者だった。巻頭を飾ったのが平岡の『ジャズ宣言』というエッセイである。いきなり巨大な活字から始まり、段々と普通の号数に落ち着いていくというレイアウトがなされていた。これはジャズ喫茶の扉を開けたときに襲いかかってくる大音響の衝撃を、あるいは文字で伝えようとしたものではなかったか。ロリンズの5分の演奏は「俺の四百字詰原稿用紙七十五枚分の思想量に等しい」と、平岡は書き付けている。
本書を読むと、かつての東京の喫茶店文化は、エリアス・カネッティが描くウィーンや、サルトルのパリのカフェ文化に並ぶとも劣らない文化環境であったことが理解されてくる。ユニークなジャズ喫茶が次々と店を閉じ、音楽体験が閉鎖的な個人の領域に閉じ込められていく今日、ジャズ喫茶が体現していた瞬間の共同体を文化の政治のなかで再構築するには、どうしたらいいだろうか。
【この書評が収録されている書籍】
扉を開くと、煙草の煙の立ちこめる薄暗い空間から、いっせいに大音響が襲いかかってくる。巨大なスピーカーから流れてくるトランペットとテナーサックス、ドラムス。客たちは一杯のコーヒーを前に音楽に耳を澄まし、というより圧倒的なその音量をシャワーのように浴び、沈思黙考に耽ったり、そうでなければサルトルやカミュの書物と格闘したりする。声高くお喋りをすることは禁物だ。万事においてストイックに振舞うことが、暗黙の掟である。
戦後しばらく、ジャズを聴くにはラジオしかないという時代が続いた。国内版のジャズ・レコードはパラパラと発売されるばかりだった。もちろん来日する本場のミュージシャンもありえない。そのため貴重な輸入盤を集めて、ジャズ愛好家のために実演に少しでも近い雰囲気で供しようという試みがなされ、それがジャズ喫茶の起源となった。やがて1960年代に入ると、ジャズ・メッセンジャーズが来日し、それに刺激されて東京でも本格的なジャズ演奏者が輩出する。ジャズをめぐるジャーナリズムが胎動し、ジャズ喫茶がいたるところに出現するようになる。本書はその時期にジャズ批評家として出発し、40年間にわたって歌謡曲から新内、浪曲、落語まで、日本の歌舞音曲を一手に論じてきた平岡正明が、みずからのエクリチュールの原風景であった場所をめぐって書き続けたエッセイである。
新宿二幸裏の「DIG」、歌舞伎町の「ジャズ・ヴィレッジ」「きーよ」、渋谷百軒店の「スイング」「SUB」「BYG」、有楽町の「ママ」、高田馬場の[マイルストーン」……。1968年に高校生であったわたしにも聞き覚えがあったり、実際にいくたびも足を運んだことのある店が次々と登場し、そのオーディオの機種をはじめ、個性ある雰囲気が語られてゆく。とりわけ深く描きこまれているのが、新宿東口の日活系二番館の手前にあった「汀」だ。石油ストーヴの臭いに包まれて、尻を暖めながら聴いたファンキージャズ。もっともその直後、著者は戸塚警察からかの伝説的な『赤い風船』事件で指名手配され、この店にもガリ版刷りの手配書が配られてきたりする。これは知らない人もいると思うので解説しておくと、1963年、平岡がその名も挑発的な「犯罪者同盟」という集団を結成したのに慌てた官憲が、そのメンバーの一人が書店で万引きしたことを契機に、彼らを一網打尽にしようとした事件のことである。
1967年、『ジャズ批評』創刊号が刊行されたとき、その発売元は銀座松坂屋裏にあった「オレオ」であり、鰻の寝床に似た細い室内の、トイレ側の隅にいつも陣取っていた常連たちが執筆者だった。巻頭を飾ったのが平岡の『ジャズ宣言』というエッセイである。いきなり巨大な活字から始まり、段々と普通の号数に落ち着いていくというレイアウトがなされていた。これはジャズ喫茶の扉を開けたときに襲いかかってくる大音響の衝撃を、あるいは文字で伝えようとしたものではなかったか。ロリンズの5分の演奏は「俺の四百字詰原稿用紙七十五枚分の思想量に等しい」と、平岡は書き付けている。
本書を読むと、かつての東京の喫茶店文化は、エリアス・カネッティが描くウィーンや、サルトルのパリのカフェ文化に並ぶとも劣らない文化環境であったことが理解されてくる。ユニークなジャズ喫茶が次々と店を閉じ、音楽体験が閉鎖的な個人の領域に閉じ込められていく今日、ジャズ喫茶が体現していた瞬間の共同体を文化の政治のなかで再構築するには、どうしたらいいだろうか。
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