書評
『大モンゴルの世界 陸と海の巨大帝国』(KADOKAWA/角川学芸出版)
商人として世界を統治したモンゴル人
モンゴル帝国の話は何度聞いても、草原のかなたに騎馬が走り去るような、さわやかな後味が残って気分がいい。そして謎も深い。誰でも感じる一番の謎は、やはり、中国からヨーロッパにおよぶ史上最大の帝国をどうやって一遊牧民族が統治したかだろう。武力に長けた騎馬民族が農業国家に攻め入って次々に攻略してゆく様子はイメージしやすいが、手に入れた版図(はんと)の政治や経済を律儀に運営している姿は思い浮かべにくい。
こうした謎にこれまでも日欧の蒙古学者がいろいろ答えてくれているが、杉山正明のこのたびの、この一冊(角川書店)は、さすがに京大の東洋史の伝統を継ぐ史家だけあって、視野がユーラシア大陸に負けないくらい広く、教えられるところが多かった。
とくに、モンゴル帝国と海の関係についての章は、考えてみたこともないテーマだけに蒙を啓(ひら)かれた。
かの蒙古来襲も、二代目皇帝クビライ(フビライ)の世界戦略の一環だったという。クビライは、当時世界一豊かな物産を誇る南宋の地への進攻に当たり、得意の陸上戦でいくら勝とうと、南宋は充実した海洋展開力によって日本方面に逃げ去るおそれがあり、あらかじめ退路を断つために、日本を襲った。これまではやみくもに遊牧民が攻めてきたような印象だったがちがうらしい。
そして、南宋を亡ぼしたクビライは、旧南宋の役に立たなくなった職業軍人十万人にスキやクワを持たせて船に乗せ、第二次の日本遠征、実は開拓団の強制上陸を試みるが神風で失敗してしまう。
知らなかった。彼らは日本開拓団だったのだ。後に、満蒙開拓団というのを日本は送り出すが。中国南部を手に入れたクビライは、イスラム商人と組むため、リーダーの蒲寿庚(ほじゅこう)(ペルシャ人もしくはアラブ人)を厚遇し、この方面の軍事総督に取り立てた。当時、イスラム商人は、中国南部から東南アジア、インドをへてさらに地中海にいたるまでの交易をがっちり握っており、これと組むことはヨーロッパとアジアをつなぐ海を勢力下に置くことになる。
かくして、モンゴルは、ユーラシア大陸の内陸路と海路の二つを握り、両ルートを通して、とりわけ海路を頼って、中国南部の豊かな物産は西方へと運ばれ、また西方の文物は中国へと入ってくる。
そして陸と海の二大ルートは、クビライが生涯をかけて建設した首都の大都(後の北京)でつながれるが、そのため、難工事をおして外港の天津と大都の間に運河が開かれている。
モンゴル帝国の国費の九五%がなんと商業からの税収だったという。そして、国の財政を司っていたのは、遊牧民でも漢人でもなく、登用されたイスラム商人あがりの官僚たちだった。
モンゴルは、遊牧民として世界に進出し、商人として世界を統治していたのである。
以上だけでも面白いが、このおよそ五倍の興味深い内容が一冊に盛られている。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする




































