書評
『素敵なダイナマイトスキャンダル』(筑摩書房)
“底抜け”編集長の波乱に富む半生
著者の名前をほとんどの読者は知らないにちがいない。はじめての本の復刊だからだ。が、パチンコファンなら、TV深夜番組で本邦唯一のパチンコ評論家としてお目にかかっているはずだし、『パチンコ必勝ガイド』の編集長でもある。それでも知らない読者も『写真時代』の名編集長であったと言えば分かってもらえるんじゃないか。“トマソン”とか“路上観察”とかの一連の動きはこの雑誌から流れ出た。それでもなお知らない人に『ウイークエンド・スーパー』の編集ウンヌンと言っても無理かもしれない。私だって知らない。アラーキーの乗っ取り的実質個人写真誌であった。
どうしてたいてい知らないかの理由は簡単で、いずれも実用本位の“左手雑誌”であり、買う人はトマソン連載の赤瀬川原平とか劇写・女優たち連載の荒木経惟とかの名前に興味はなかったし、まして編集長なぞどうでもいい。現在はいずれも幻の雑誌として古書界の紙価を高めているそうだが、おそらくこれらの雑誌を今、読もうと思うなら丘の上の国会図書館へ行くより丘の下の警視庁の地下倉庫に行った方が早い。
マンガ雑誌について夏目房之介か呉智英の指摘のように、いいものから悪いものまで、記事ならギャンブルからエロまでなんでも載せ、これが日本のマンガを花開かせ、ひいては文化一般に刺激を与える土壌になった、のであるなら、同じことが末井昭の編集してきた雑誌についても当てはまる。大げさに言うなら、総合とうたいながら敷居を高くして守備範囲を狭めた“総合雑誌”の陰で、本当に時代を上から下まで右から左まで総合していたのはマンガ雑誌と左手雑誌だった。
といってもその手の雑誌すべてがそうした総合力というか底の抜けた雑合能力を発揮したわけではないのに、末井編集長にはどうして可能だったのか。タマタマだったような気もするし、そうでないようにも思えるし……。
そのへんに興味のある人はこの自伝的一冊を読まなければならない。書き出しから、
芸術は爆発だったりすることもあるのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった。最初は派手なものがいいと思って、僕の体験の中で一番派手なものを書いているのであるが、……正確に言うと、僕のお母さんと近所の男の人が抱き合って、その間にダイナマイトを差し込み火を付けたのであった。ドカンという爆発音とともに、二人はバラバラになって死んでしまった。世間では、こういうことを心中と言うのである。
小学生の時のことだそうだが、この時、末井少年の心の桶の底板も母とともにどっかに吹き飛んでしまったんじゃないか。
以後はお定まりのコースで、高校を出てから工場で働き、すぐやめて各種職業を転々とし、キャバレーの看板描き、エロ雑誌のイラストレーター、その筋の雑誌の編集を経て、『写真時代』を創刊する。
使う写真は、もうややこしい写真論は無視した。もう、僕が見てスゴイ、と思ったらそれを載っけることにした。女性の写真は、服を着ているより裸のほうが見たいから、ヌード写真のほうが載る確率が高い。
そして大当たりした。当たった理由は、写真に加えて、他の雑誌ではナントナク拒まれるようないろんな企画や雑文を載せたからだった。なんせ、編集長の底は抜けており、何であれジャブジャブ受け入れることができたのである。
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