書評

『作家の手紙をのぞき読む』(講談社)

  • 2020/03/05
作家の手紙をのぞき読む / 佐伯 彰一
作家の手紙をのぞき読む
  • 著者:佐伯 彰一
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(255ページ)
  • 発売日:2000-04-00
  • ISBN-10:4062101025
  • ISBN-13:978-4062101028
内容紹介:
ナボコフ、ヘミングウェイ、G・グリーン…名だたる作家たちの人間くさいエピソードを、彼らの手紙からちょっとだけお見せします。有名作家の意外な素顔。私信のやり取りの中に垣間見える人間くさいエピソードを拾い、手紙を読むことの思わぬ楽しさを教えてくれる好著。

わき道にひろがる自伝

芸談とは、通常、芸能および芸道の秘訣や苦労話を意味するのだろうが、芸をなす人間にとどまらず、もう少し広い範囲を視野に入れた言葉として用いてみてもいいのではないだろうか。実際に芸をこなし、創作をする側ばかりでなく、それを賞賛し、批判しながらたがいを高めていく批評家の視点も、まちがいなく芸だからである。芸談において重要なのは、巧みな落ちや豊富な情報量とも、読む側に便利な年表やチャート式の要約に収まる参考書とも別物の快楽を用意することであって、じっくり書き込んでいながら読者を不快にさせないこの筆づかいには、練達の技が要求される。したがって芸談とは、ディレッタンティスムやペダントリーとも本来は縁のない、いわば語りを担う書き手の熱意と成熟と小気味よさとが合致してはじめて成立するものなのだ。

佐伯彰一氏の新著『作家の手紙をのぞき読む』は、いまやほとんど死に絶えつつあるその芸談の系譜につらなる、貴重な成果だろう。英米文学系では、おそらく篠田一士以後、この分野で同種の役者が育っていない空白を埋める、「案内者」の自負と愉楽に満ちた語り口。内外の自伝的作品を読み解くことで培われた嗅覚が遺憾なく発揮されている本書の特質は、しかし篠田ふうの心地よい大風呂敷への誘惑をひとまず断ち切って、対象を絞り、そのうえでアプローチの方法を故意に弛ませたところにある。

ナボコフとエドマンド・ウィルソン、ヘミングウェイと四人の妻(とりわけ三番目の妻マーサ・ゲルホーン)、おなじくヘミングウェイとフィッツジェラルド、グレアム・グリーンと彼の英国諜報部時代の上司キム・フィルビー、そしてグリーンとイーヴリン・ウォーなど、深い理解あってのつば競り合いの妙味を、伝記や自伝や書簡集のなかから引き出した数多くのエピソードと、「攻撃の雄叫びの方が、讃美歌よりも、ずっと面白い」と述べたナボコフの言葉にふさわしい、「甘口の」書評を超えた真っ向勝負の事例を挙げて一応のまとまりを示しながら、その大きな流れの周囲にささやかな支流を設けることにも著者は無関心でいられない。

本書が著者そのひとの自伝的試みとして輝き出すのは、これらさりげない支流の近辺である。「いや、つい私的回想に入りこんで失礼」(「『政治』の呪縛」)、「いや、ついわき道にそれて失礼」(「野心家女性の『三段跳』」および「『ケンブリッジ・コミンテルン』(?)」)、「私個人にかかわる思い出としては」(「同性愛という『カルト』」)、「いや、私的な思い出話に脱線して失礼」(「あとがき」)と、ほかにも言いまわしを変えたり導入句ぬきで自然に切り替えが行われたりとパターンはさまざまだが、こうした脱線の頻度はかなりのもので、しかも脱線のあとしばらくして、そこで語られた小さなエピソードや名前がじつに有機的にむすびついてくるのだ。つまり、全体の流れをおおよそ想い描いたうえで、ほぼ確信犯的な逸脱の手法が用いられているわけである。

なかで最も大きな位置を占めているのは、やはり読書にまつわる艶やかな記憶だろう。書物と書物のぶつかりあう場所に生々しい人間を浮かびあがらせる手法を採択する自伝、あるいは伝記とは、主人公が、いつ、どこで、どのような書物を読んだのかを探ることに等しく、佐伯氏が折に触れて入手した本、夢中になって読んだ本のタイトルのみならず、それらの本を取り巻いていた状況や空気にまで言及しているのは、真の主役が書物だからである。読んだ本を列挙しつつ個人の過去に横滑りしていく足どりは、いわばベッドを共にした異性の名を挙げることと変わらぬ告白なのであり、それは批評文における「引用」が、懸想した相手のどこを攻めたかという嗜好の開陳であるのと同様、ひたすら官能的な物語を生んでいく。扱われている作家の生涯のうち、文学的友情と決裂を扱う箇所以上に、男性作家の異性遍歴の方へ筆が走っていくのは、けだし当然だろう。それは聖職の裏の悪徳を暴くというより、思いがけない相手に手をつけてしまった文学者たちの弱みに共感することでもあるからだ。

ことに精彩を放っているのは、「わが国のいわゆる破滅派の文士はだしの、ご乱行ぶりではなかったろうか」と捻らざるをえないグレアム・グリーンの「驚くべき“企み”」に付き合う一章だ。カトリック作家として扱われてきたグリーンの信仰心の核を占めるとされてきたあの『情事の終り』――第二次世界大戦時、空襲下のロンドンで、ふいに心を閉ざした恋人である人妻の心変わりの原因が、つまり男にとっては恋敵が「神様」だったとする過激なプロットをもつ小説――の裏の、妻以外の女性たちとの情事の具体的な徴を、グリーンが作中にのうのうと描き入れていたという秘密をマイクル・シェルデンによる伝記に即して語るときの口吻は、この作家のカトリック性にたいする疑念の表明というより、してやられたと明るく天をあおぐ喜びに満ちている。

そう考えてくると、本書がナボコフの『ロリータ』から語りはじめられている理由がはっきりしてくるだろう。冒頭の章には、その後の頁の特質がすべて出そろっているからだ。まだ原本も輸入されていない『ロリータ』の紹介記事をダイジェスト版に頼りつつ書いたという、いわば初物に手を付けたような誇らしい思い出から当時のアメリカにおける『ロリータ』評へ、卓抜なインタヴューがじつはナボコフ自身の「作文」に近いものだと知った後年の驚きから最初に読んだナボコフ作品である『ゴーゴリ』の衝撃へ、そしていまだ英語作家への道の途中にあったナボコフのこの評伝を誰よりもはやく、誰よりも正確に(同時に少し堅苦しく)読み解いて書評を書いたエドマンド・ウィルソンの手柄へ。作家と批評家の交友関係の端緒を拾いながら、それを追う著者自身の記憶のよみがえりを遊ばせておくこの余裕は、最後まで保たれることになるだろう。

全篇に漂う意図的な脱力。これこそまことに得がたい語りの芸なのである。

【この書評が収録されている書籍】
本の音 / 堀江 敏幸
本の音
  • 著者:堀江 敏幸
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(269ページ)
  • 発売日:2011-10-22
  • ISBN-10:4122055539
  • ISBN-13:978-4122055537
内容紹介:
愛と孤独について、言葉について、存在の意味について-本の音に耳を澄まし、本の中から世界を望む。小説、エッセイ、評論など、積みあげられた書物の山から見いだされた84冊。本への静かな愛にみちた書評集。

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作家の手紙をのぞき読む / 佐伯 彰一
作家の手紙をのぞき読む
  • 著者:佐伯 彰一
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(255ページ)
  • 発売日:2000-04-00
  • ISBN-10:4062101025
  • ISBN-13:978-4062101028
内容紹介:
ナボコフ、ヘミングウェイ、G・グリーン…名だたる作家たちの人間くさいエピソードを、彼らの手紙からちょっとだけお見せします。有名作家の意外な素顔。私信のやり取りの中に垣間見える人間くさいエピソードを拾い、手紙を読むことの思わぬ楽しさを教えてくれる好著。

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