書評

『謎とき『風と共に去りぬ』: 矛盾と葛藤にみちた世界文学』(新潮社)

  • 2019/07/09
謎とき『風と共に去りぬ』: 矛盾と葛藤にみちた世界文学 / 鴻巣 友季子
謎とき『風と共に去りぬ』: 矛盾と葛藤にみちた世界文学
  • 著者:鴻巣 友季子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(283ページ)
  • 発売日:2018-12-26
  • ISBN-10:4106038358
  • ISBN-13:978-4106038358
内容紹介:
これは恋愛小説ではない。分裂と融和、衝突と和解――現代をも照射する仕掛けに満ちた大長編を、作者の書簡等も交え精緻に読み解く。

ミッチェルの文体の妙技に迫る

『謎とき『風と共に去りぬ』――矛盾と葛藤にみちた世界文学』の読了感をひとことでいうと、「エピックのような、すごいものを読んだ」である。

「エピック」(epic)というジャンルは叙事詩のことを示すが、「ある歴史的状況で英雄が偉業を遂げたり冒険したりする小説」を指すこともあり、「スケールや想像力において壮大であること」が特徴。アメリカの南北戦争期に生きたスカーレット・オハラの「冒険」を描いた「壮大」な「英雄」物語ともいえるマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』は、まさにエピックである。

その古典に見劣りしない批評書を書こうとすると力が入りすぎて、学問を衒う罠に陥りやすい。しかし、鴻巣氏が〈翻訳家〉であるということに尽きると思うのだが、本書は、読者の感じ方を予測しつつ文体やトーンを変えながら抑揚を効かせる妙技を心得ていて、とにかく物語のように読ませるのだ。

まず冒頭で、現代人がいかに映画化された『風と共に去りぬ』によってスカーレット像を構築してきたか、いかに「目に見えない原作と映画の違い」が大きいかについての解説がある。本書は、ミッチェルの「先進的で高度な文体の試み」が映画では表現しきれなかったことに着目し、この小説の深部へ読者を導くべく、彼女の文体の独自性を緻密に分析する。

ミッチェルはモダニズム期の作家だが、その時代に特徴的な〈意識の流れ〉という語りの手法を採用せず、「登場人物になりきって=同化して書く」方法を確立した。鴻巣氏の巧みな引用さばきによって、難解なはずのミッチェルの文体の仕組みが手に取るようにわかる。一つ例をあげよう。たとえば、主人公スカーレットが、二人目の子供を出産した後に製材所オーナー社長として復帰しようとして、治安の悪いアトランタに出かけるところを夫に止められる場面を〈語り手〉が説明する。“She had shot one man and she would love, yes, love to shoot another.”(すでに一人撃ち殺しているんだから、もう一人ぐらい喜んで、ええ、喜んで殺すわよ。)という文である。引用符なしで誰か別の人物の言葉がさりげなく挿入されるのが「自由間接話法」であるが、ここでは “yes” 以降がスカーレットの声になっている。だから、語り手の「視点がだんだん深くスカーレットの内面に入りこんでいき、スカーレットの声が混ざって響いてくる」という説明文がすっと頭に入ってくる。『謎とき』の文体や表現方法が時折ミッチェルが憑依しているように思えるのは、『風と共に去りぬ』(新潮文庫)の翻訳者の文章だからと考えれば、腑に落ちる。

巧妙に練られた構成もエピック的である。前半は、登場人物、プロット、当時のアメリカ文化が孕む多様性など、読者が必要とする情報を与えながら、物語が具体性を帯びてくる中盤で小説の本質に切り込んでいく。スカーレットのプラグマティズムが、ボヴァリスム(ボヴァリー夫人のように手に入らないロマンティックなものを追い求める生き方)と対比され、そのプラグマティズムがいかに彼女が恋い焦がれるアシュリと相容れないかという点が明快に論じられる。また『風と共に去りぬ』の読者が、存外腹黒いスカーレットの内面に触れても彼女を嫌いにならないどころか共感までしてしまうのは、ミッチェルの語りが絶妙な距離の取り方をするから、というのだ。社会規範から外れた跳ねっ返りの主人公に読者が心を寄せることを可能にする語りこそ、アディーチェが「シングルストーリーに回収される危険性」と表現したものに通じる、という議論に深く共感した。

スカーレットの赤(炎)とメラニーの黒(死)の対比も見事である。ここで、二人目の子供を産めば命の保証はないと言われていたメラニーの虚弱体質がいつも影を落としていたことにハッとさせられる。この論を追っていくうちに、もう一つの対立軸、実存(ontology)と認識(epistemology)があるのでは、という考えも生まれた。生きることだけに執念を燃やすスカーレットはまさに存在者として表象される(本書で指摘される通り、彼女は蚊帳の外でいつも何も知らされない)。他方、認識者メラニーは、知る者だけが纏うパトスを象徴してもいて、黒のイメージをさらに強めている。おそらく、この二人の女性の間で苦しみ続けるアシュリがそもそもメラニーと結婚することを選んでいたのは、彼の気質によるという指摘にも肯首。あふれんばかりの生/性を享受できずにただひたすら苦しむアシュリの「懊悩」は、終盤までに積み上げられてきた議論のおかげでようやく理解できるものである。

最後の山場では、スカーレット、メラニー、アシュリ、レットの四人の相関図を参照しながら、スカーレットとアシュリは切断されているが、それ以外が互いに「身代わり的」(vicarious)であること、そして、それがこの物語を面白くしていることが論じられる。鴻巣氏は絶妙なタイミングで さながら自由間接話法のように、レットの声を響かせている。

わたし(レット)はきみを愛していたが、それを悟られるわけにはいかなかった。きみは自分を愛する男どもをいたぶるからね、スカーレット。(『風と共に去りぬ』第5巻第63章)

我々読者はこの引用文を読んで、自らの分身のようにスカーレットを知り尽くしているレットでなければ、愛を成就させることはできなかっただろうことを知る。エピックを読み終えた感慨深さが湧いてくる。また、本書は恋愛指南書としても読めるだろう。なぜなら人が人を愛するとき、その愛の実践には深遠な思考と逞しい想像力が必要で、『風と共に去りぬ』の文体の〈謎とき〉がまさに人の内面に入り込む術を教えてくれるからだ。
謎とき『風と共に去りぬ』: 矛盾と葛藤にみちた世界文学 / 鴻巣 友季子
謎とき『風と共に去りぬ』: 矛盾と葛藤にみちた世界文学
  • 著者:鴻巣 友季子
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(283ページ)
  • 発売日:2018-12-26
  • ISBN-10:4106038358
  • ISBN-13:978-4106038358
内容紹介:
これは恋愛小説ではない。分裂と融和、衝突と和解――現代をも照射する仕掛けに満ちた大長編を、作者の書簡等も交え精緻に読み解く。

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