戦後、日本のマンガ雑誌が、月刊誌から週刊誌へと変貌していく過程で、トキワ荘に集ったマンガ家たちがたどった運命。そして、今もトキワ荘が伝説となって語り継がれるのはなぜか。
2018年は手塚治虫生誕90年、石ノ森章太郎没後20年、赤塚不二夫没後10年、今年は手塚没後30年、来年2020年にはトキワ荘復元されるなど、メモリアルイベントが目白押しの昨今、対比評伝を得意とする作家中川右介が、膨大な資料をもとに手塚治虫とトキワ荘グループの業績を再構築し、日本マンガ史を解読する「群像評伝」が本書です!
誰がマンガ家たちをトキワ荘に集めたのか
パリのモンマルトルに「洗濯船」(バトー・ラヴォワール)と呼ばれる集合住宅があり、二〇世紀初頭、そこにピカソ、ブラック、モディリアーニらが集っていた――という話を美術史の本で読んだ時、「まるで、トキワ荘みたいだな」と思った。ご存知の方も多いだろうが、かつて東京・豊島区に「トキワ荘」というアパートがあり、手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄Ⓐ、赤塚不二夫、石ノ森章太郎らが暮らしていたのである。現在、世界中で日本のコミックとアニメが親しまれている状況をみると、トキワ荘は十分にパリの「洗濯船」に匹敵すると思う。
最初にトキワ荘に暮らしたマンガ家は手塚治虫である。入居したのは一九五三年一月のことで、二四歳だった。手塚の商業マンガ・デビューは一九四六年、この年が八年目で『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』という、生涯を通しての代表作を含む九作を月刊誌に連載していた。手塚はトキワ荘に五四年秋まで二年弱、暮らした。
手塚が出た後、その部屋に藤子・Fと藤子Aが入居し、五六年に石ノ森と赤塚が入居したことで、トキワ荘は本格的な「マンガ・アパート」となった。六一年秋に、藤子不二雄の二人と赤塚が出て、翌年には石ノ森も出て行くので、四人が揃っていたのは六年弱となる。この時期の彼らは、出世作である『オバケのQ太郎』『おそ松くん』『サイボーグ009』を描く前で、子供たちのあいだでは知られていたが、世間一般には知られていない。
トキワ荘には、彼ら以外にもマンガ家が暮らしていた。寺田ヒロオ、鈴木伸一、よこたとくお、森安なおや、短期間ではあったが水野英子である。鈴木はアニメーションの世界へ行き、森安はメジャーな雑誌にあまり描かなかったが、こんなに成功率が高いグループはない。無名のまま消えていった人がいないのだ。
彼らはみな東京以外で生まれ育った。マンガ家になろうと東京に出てきたとき、どうして同じアパートに住んだのか。まるで神の見えない手に導かれたかのようだ。しかし、広い東京で偶然ということはありえない。誰かが、彼らを一箇所に集めたのである。「マンガの神様」と称された手塚治虫なのか。どこかの雑誌の編集部なのか。
新刊『手塚治虫とトキワ荘』は、この「誰か」を突き止めようということから出発した。それが「誰」なのかは読んでいだたくとして、本としては、一九四五年から六一年までのマンガ史を、群像劇として描いたものとなった。前半は、手塚治虫が少年誌のみならず少女誌まで含め、主要雑誌に「マンガ」の連載ページを確保していく、一種の「国盗り物語」だ。手塚がデビューしたころ、少年誌・少女誌とも、小説や絵物語が全盛で、マンガのページはほとんどなかった。手塚はそこにマンガのページを獲得することから始めなければならなかった。手塚の功績は「ストーリーマンガの確立」「映画的手法の道入」もさることながら、雑誌のなかに「マンガ」のテリトリーを拡大したことが大きい。手塚が拡大した枠に、藤子たち後輩が参入していった。
さらに、いまでは当たり前の「アシスタント制」の道入も、手塚の功績のひとつだ。これによってマンガの量産が可能になった。手塚以前、田河水泡などのマンガ家には「弟子」はいたが、アシスタントはいなかった。弟子たちは、「先生」の身のまわりの世話や家事までしなければならず、それに耐えると雑誌の仕事を紹介してもらうという、徒弟制度だったが、手塚は合理的な「アシスタント」制にした。
これは必要から生まれたものだった。依頼された仕事をすべて引き受け、まさに手が足りなくなった手塚は、最初は手先の器用な編集者にベタ塗りを手伝ってもらっていた。上京してきた藤子Ⓐに手伝ってもらった際、背景なども描かせた。そのとき、人物の顔は自分で描かなければダメだが、それ以外は絵のうまい人に描かせる方法を思いついたに違いない。その後、高校生だった石ノ森にも手伝ってもらい、九州に行った時は松本零士に手伝ってもらった。
藤子不二雄の二人は、合作していたので分業に慣れていた。さらに、同じトキワ荘に何人もが暮らしたことで、忙しいときは互いに手伝うという「文化」が生まれ、これがアシスタント制、プロダクション化へと自然に発展したのだ。トキワ荘なくして、こんにちのマンガは存在しない。
藤子・F、藤子Ⓐ、赤塚、石ノ森たちのマンガの最初の読者は「団塊の世代」だ。彼らの成長とともにマンガのマーケット全体が拡大した。この本では、それをめぐっての小学館・集英社と講談社との出版攻防史も背景に置いた。マンガのみならず、戦後日本のメディア史に関心のある方も手にとっていただきたい。
[書き手]中川右介(作家・編集者)