書評
『インディヴィジュアル・プロジェクション』(新潮社)
気分はもう戦争
さっき『ゴーストバスターズ』の見本が届いたばかりだ。この原稿がみなさんの目に触れる頃には本屋の店頭に我が「ゴースト」たちが並んでいることと思う。九年がかりの愛児ゆえ、みなさんに可愛がっていただければ、作者としてこれ以上の喜びはない。ところで、本書使用上の注意を二つほど。装幀を見て驚かれるかもしれないが、あれは登場「人物」たちなのである。なにせ、みんな「ゴースト」なものだから、そんなところにまで出現したのではないだろうか。
さらに、帯文を見て、どこかで読んだことがあるなあと思う方もいらっしゃるだろう。当たり! 実は、当コラムの文章(の一部)をそのまま帯文に採用させていただいているのである。帯に使うのだったら、もう少し考えたのだが。いや、最初からわかっていたらひどく書きにくかったかもしれない。帯文=説明+推薦なのだとしたら、説明も推薦も書いた当人としてはふつうの神経ではできないはず。昔の作家の中には(谷崎潤一郎や芥川龍之介等々)自作の帯文は自分で書いた者も多かったと聞いたことがある。ほんとうだろうか。ほんとうなら、一度ぜひ読ませていただきたいと思う。ぼくに書けるとしたら「今世紀最大の傑作」ぐらい。なにしろ、根が正直なもので。
阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』(新潮社)の帯には「九〇年代新文学の最高傑作が誕生!」とある。異存はまったくない。
映画学校の生徒だった主人公オヌマは、ある日、友人たちと謎めいた結社の一員になる。そして、結社の一員としてヤクザの組長を誘拐し現金とプルトニウムを強奪した(らしい)。ロリコン犯罪で結社の首魁が逮捕され、組織を離れて映写技師になったオヌマの周りに暴力に満ちた事件が次々と起こりはじめる……というようなあらすじの説明はよそうね。この作品の魅力はあらすじからはわからないからだ。
この作品が三島賞の候補になった時、ぼくは当然受賞するものと思った。だから、受賞を逸したと聞いた時も、そもそもあまり話題にもならなかったと聞いた時もひどく驚いた。そして、審査員たちはこの作品のどこが気に入らなかったのか考えてみたのだった。
この作品を貫く背景は暴力、そして貫く感情はユーモアだ。暴力+ユーモア、この組み合わせから「悪ふざけ」を感じとってしまう読者がいたとしても不思議はない。しかし、傑作映画「パルプ・フィクション」やルイス・ブニュエルの作品もまた、暴力+ユーモア、悪ふざけそのものではなかったか。主人公オヌマはこう書いている。
とにかくはっきりさせねばならなかった、ハッキリさせたかったわけだ、このおれは! スッキリしたか? そう、スッキリかつハッキリさせよう、物事は。
そう来なくっちゃ! この部分を読んだ時、ぼくは快哉を叫んだ。暴力の真の恐怖はユーモアがないことにある。そして、暴力を「スッキリかつハッキリ」見定めようとする時、過剰なユーモア以上の手段はないはずなのだ。
情報を選別収集し、オヌマはこう考えるに至る。
これはもう戦争ではないのか?
戦争は暴力の最高の形態である。ついに戦争がはじまった? いや、戦争はずっと続いていた、ただ気づかなかっただけなのである。矢作俊彦は十五年以上前に「気分はもう戦争」と宣言していたのではなかったか。
そういえば、八〇年代の最高傑作の一つ矢作俊彦の『スズキさんの休息と遍歴』も三島賞落選組だったっけ。
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