後書き
『退屈な読書』(朝日新聞社)
あとがき
『いざとなりゃ本ぐらい読むわよ』に続く、本の事件簿第二弾である。この本に収められたコラムを書いていた九六年から九八年にかけて、わたしは九年ぶりの長編を書き上げたかと思うと、月刊の純文芸誌に長編の連載を開始し、さらに週刊誌に長編を連載して完成させ、あまつさえアダルトヴィデオに出演(男優じゃないってば)してしまった。高橋源一郎よ、そんなに急いでどこへ行く。さあ、本人にもわからない。けれども、なんだか、わたしは世紀末に向かって、勝手にどんどんスピードアップしているようなのだ。ちなみに、この本がみなさんの手元に届く頃には、漱石夏目金之助大先輩がかつて小説を連載されたのと同じ新聞紙上で小説の連載をはじめているはずである。そんなに真面目な作家になって、どうするのだ?
そのような怒濤の創作ラッシュの最中も、本への愛が失われていなかったことは、この本を読めばわかるはずである。わたしは勤勉な作家として小説を書き、同時に勤勉なコラムニストとして本を読み続けた。けれども、読むべき本、読みたい本の数は一向に減る気配がない。どんなに小説を書くのが忙しく、どれほど熱心に競馬場がわたしを呼んでいても、気がつくとわたしは本の頁をめくっている。ああ、こんなにも、こんなにも本を愛し、読んでいるのに、少しぐらいはなにかの役にたたんかい――などと文句はいわない。読書は無償の愛なのである。そう、書評コラムとは報われぬ愛に捧げられたラヴレターなのだ。おっ、いいね、この文句。この本の帯に使おうかな。
それから、今回は装画をしりあがり寿さんに描いてもらうことになった。しりあがりさんのような「現代漫画界の巨人」から装画をいただけるとは夢のようである。唯一の問題は、しりあがりさんの装画を見て感銘のあまり、この本を「しりあがり寿の本」と勘違いする読者が続出する可能性があることだが、それってもしかしたらラッキーかも。
そういうわけで、選りすぐりの八十一本を、わたしと同様、本を愛するすべてのみなさんに捧げます。でも、ちゃんとレジで代金は払うように。
一九九九年一月十五日
高橋源一郎
【この後書きが収録されている書籍】