書評
『Xのアーチ』(集英社)
よく似た小説
小説を書いて発表すると「これは、あの小説を意識して書きました?」という質問を受ける。そういう場合、小説家としては本能的に「ええっと、そんな風に見えました?」とかなんとか答えを曖昧にはぐらかす。たとえば、『ゴーストバスターズ』を読んだ複数の人から「あれは、太宰治の『斜陽』を意識してますよね」といわれた。わたしはもちろん、「そう?」と答えたわけだが、内心ニコニコしていた。だって、もちろん『斜陽』は意識していたよお、わかってくれてありがとう、と思ったからだ。さて、『ゴーストバスターズ』でいちばん多かった質問は「あれは、エリクソンの『Xのアーチ』を意識してますよね」というものだった。わたしとしては当然の如く「あっ、そう?」と答えていたが、こちらの方は内心焦っていた。実は読んでいなかったのだ。そういうわけで、今回はその『Xのアーチ』(スティーヴ・エリクソン著、柴田元幸訳、集英社)である。一読して驚いた。これでは確かに意識して書いたと思われても仕方ない。
① 主人公たちはアメリカを横断する
② 主人公たちはいくつもの次元の異なった世界をワープする
③ 作者と同じ名前の人物が登場する
いや、そればかりではなく①のアメリカ横断も、ただのアメリカ横断ではなく、インディアンの集落で求める相手を発見したりする。それから、決定的なシーンで、主人公は無意識のうちに「アメリカ」という言葉を呟く。それから「空にある星に一つ残らず名前をつけ直す」登場人物も出てくる。それから、終結部が冒頭部へ回帰してゆく。それから……他にも同じような箇所があったなあ。
慌てて解説を調べてみた。もしかしたら、ほんとうは読んでいて忘れていたんじゃないかとマジで思ったからだ。日本で出版されたのが九六年、原著がアメリカで出たのは九三年。実は『ゴーストバスターズ』の大半は九〇年から九二年にかけて書いていたから、やっぱり読んでいなかった。やれやれ。
それにしても、とぼくは思った。この類似は尋常ではない。そして、ぼくにはエリクソンの発想の一つ一つが痛いほどわかるような気がした。いや、どう考えても、ぼくと彼はまったく同じ時期に、同じようなことを考え、書いていたのではないか。そういう小説に巡り合い、読んでいると不思議な感じがする。まったく初めて訪れる場所なのに、ひどく懐かしい気持ちになるのだ。しかし、ぼくがもっとも驚いたのは、この小説のテーマなのだった。
『Xのアーチ』は愛に関する物語である。さらにいうなら、その愛は「自由と隷属」に引き裂かれている。そしてその「自由と隷属」の中身について、主人公はこう語る。
その地点に至るまでの年月を、私は自分の心の奴隷としてではなく、自分の頭の信念の奴隷として過ごした。その間ずっと、彼女と交わった最初の夜と同じぐらい生きていると実感したことは一度もなかった。決して許されないことをやってしまったと自分でもわかった夜と同じくらい生きていると実感したことは一度もなかった。……私はあの夜を、自分の信念に反する罪としてではなく、自分のなかに生きる理性の神に根拠を与えその神を解放してくれる情熱の混沌として受け入れてきた。
愛について、あるいは「自由と隷属」について語りながら、実はエリクソンは文学について語っている。文学もまた自由を渇望しつつ、隷属を受け入れねばならない運命にあるからなのだ。なにを書いても文学の運命に行き着いてしまう作家はいるのである。
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