昼間の自分を解き放つ月の光
ミルハウザーは月光の作家だ。陽光ではなく。夜中に屋根を散歩する『三つの小さな王国』のワンシーンは好例だが、人々のストレンジな行動が断章的に綴られる本書も、同じように月光の一夜が舞台である。登場するのは若者と孤独な単身者。家族持ちはいない。「ここから抜け出さなくちゃ」とベッドから身を起こすローラ(14)。やかましい虫の声、刈りとられた芝の香り。茂みのなかできついジーンズを押し下げ月光に裸をさらす。
彼女にとって抜け出す部屋は昼間の生活の象徴だが、それはだれにとっても同じこと。バーを出てひとり街路をふらつくクープ(28)は、意志の力で己の正体を隠しているウィンドウの中の恋人をじっと見つめ、彼の視線に充たされた彼女(マネキン)はポーズの手を下げてひょいとフロアに降り立つ。陽が出ている間の「だれか」は、月光を浴びて「別のだれか」に解き放たれ、輝く。
ミセス・カスコ(61)は秘密の他者を迎え入れて昼間の自分を離れる。彼女を訪問するのは「『私は』と言ったとたんにもう、自分はこういう人間なんだと主張しているその存在から隔たってしまう」という複雑な問いに悩めるハヴァストロー(39)。彼にはほかの人のような昼間の仕事がない。もう何年も仕上がらない小説と夜ごと格闘しているのだ。もとは息子の友人だった万年青年の、昼夜の逆転した脳がしぼり出すことばに、控えめな熱意を傾け聴き入る夫人。
どの瞳にも物の姿がくっきりと鮮明に映っている。耳だけを見つめると顔から浮き上がって意味を失うように、一点を執拗に凝視する行為には危険を伴うが、月夜の晩ならためらうことはない。それぞれの秘密を「誰にも知られぬまま」にする月光の魔力に恃(たの)んで、「私」の枠を超えた領域へと旅立つ。
昼と夜の対照がはっきりする真夏の、眠れない夜にうってつけの一冊だ。