物語の舞台は十九世紀末から二十世紀初めのニューヨーク。主人公は父親が経営している葉巻タバコ商店の手伝いをしながら、並外れた商才を発揮する少年マーティン。その働きぶりに目をとめた有名ホテルが、十四歳になった彼をベルボーイとして雇う。そこでも勤勉さと気配りのきいたサービス精神で一頭地抜けた存在となり、やがてフロント係を経て支配人秘書に昇進。十六歳の時にはホテル内のタバコ・スタンドを買い取り、その商売も成功させてしまう。二十歳をすぎると、今度はランチルームを開店。これまた大成功。そんなある日、マーティンはヴァーノン家の未亡人とその娘キャロリン、エメリンの知己を得て――。
ある時、この世界が「四方八方にものすごい勢いで拡散している」ことに気づいた少年が、その水平を見渡していた視線を上に向け、「未来は空にある」と確信。摩天楼を幻視して、やがて奇想天外な高層ホテルを次々と建設していく様を描いたこの小説は初め、アメリカン・ドリームもののパロディのようにも読める。が、それだけではないことは早々に明らかになる。「テクノロジー的にはモダンで最新のものが、装飾面に観られるある種の郷愁とぶつかりあっている」、そうした過去と未来の相克に強く惹かれる青年が、病的なまでの精巧さを目指すミニチュアリストの情熱をもって、都市の中の都市たる高層ホテルを夢想する。しかし、上(未来・意識)へ延びようとする意志は、一方で彼を下(過去・無意識)へと誘う。地上十八階・地下三層→地上二十四階・地下七層→地上三十階・地下十二層という、マーティンが建てた三つのホテルの垂直感覚の歪(いびつ)さ。上昇よりも下降を志向しているかのような階層の変化は、そのまま彼の精神の変容を示しているのだ。
そうした上と下のイメージは、この小説のそこかしこにちりばめられている。たとえば、ヴァーノン家の姉妹。利発でテキパキしている妹のエメリンがアッパー系なら、めったに感情を表に出さず、夢に埋もれているかのように部屋の中に引きこもってばかりいる姉のキャロリンはダウナー系。マーティンは明るいエメリンと共にいたいと願いながらも、しかし陰気な美女キャロリンと結婚してしまう。エメリンという“上”を見失い、地下の夢に呑み込まれてしまったマーティンが最後に作り出すのが、奇っ怪にして蠱惑(こわく)的な夢の建築物グランド・コズモなのだ。
昏(くら)い想像力の産物としかいいようのない不穏な魅力をかもす娯楽施設の数々、世界下世界と呼ばれる地下層にまつわる都市伝説的な噂の諸々。上と下、意識と無意識、未来と過去。この相対するふたつの世界を同時に生きる夢を抱いて、しかし破綻してしまう一人の天才の“幸福な”半生を、同一の単語やイメージを繰り返す夢みがちな美しい文体で紡ぎ出した、これは傑作なのである。二五二ページ以降展開されるグランド・コズモの描写を読めば、ミルハウザーの天才もまた明らか。読まない人はちょっとどうかとすら思う。
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