コラム

翻訳ノンフィクション・シリーズと戦争三部作『帰還兵はなぜ自殺するのか』『兵士は戦場で何を見たのか』『シリアからの叫び』(亜紀書房)

  • 2018/03/27

翻訳ノンフィクション・シリーズと戦争三部作

亜紀書房の編集の方からお電話をいただいたのは二〇一四年の春のことだった。翌年に『帰還兵はなぜ自殺するのか』(原題「THANK YOU FOR YOUR SERVICE」)という標題で「亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ第Ⅰ期」の最後の作品として出版されることになる翻訳書の依頼だった。届いた原書を一読し、心が重く沈んだ。そこにはアフガニスタンやイラクから帰還した兵士たちの苦しみが、肉体的なものから精神的なものまでことごとく、目を背けたくなるほど克明に描かれていたからである。しかしそれ以上に驚いたのは、この作品の構成のみごとさと文章の喚起力だった。一章毎に描き出す対象を変えて「戦争の傷」に迫っているのに、著者の存在が読者からはまったく見えない。もちろん、文章を書いているのは著者のデイヴィッド・フィンケルなのだが、彼の目がカメラそのものとなって、事実という写真をテーブルの上に広げていくような描き方である。しかも私情をまったく差し挟まないドライで緊密な文体で綴っている。このような手法を「イマージョン・ジャーナリズム」ということをのちに知った。こうした書き方に読者は多少戸惑うかもしれないと思ったが、杞憂にすぎなかった。

折しも日本中が集団的自衛権を認めるか認めないかで騒然となっていた時期で、しかもNHKの「クローズアップ現代」では「イラク派遣10年の真実」を放送し、派遣されていた自衛隊員の自殺の多さがまさしくクローズアップされていた。時代は、フィンケルの書を読まざるを得ない状況にさしかかっていたのである。

訳している最中、このジャーナリストのほかの作品を読みたくなって取り寄せてもらった。それが二〇一六年の二月に出版された『兵士は戦場で何を見たのか』(原題「THE GOOD SOLDIERS)である。これは『帰還兵』の前編にあたり、フィンケルがイラクに派兵された中隊に従軍し、十カ月にわたって血の臭いとどぶの臭いに覆われた悲惨な戦争の現場を取材した力作である。このフィンケルの二冊を原作とし、『セッション』でドラマーを演じたマイルズ・テラーが主演を務める映画が二〇一七年秋にアメリカで公開された。

帰還兵はなぜ自殺するのか / デイヴィッド・フィンケル
帰還兵はなぜ自殺するのか
  • 著者:デイヴィッド・フィンケル
  • 翻訳:古屋 美登里
  • 出版社:亜紀書房
  • 装丁:単行本(390ページ)
  • 発売日:2015-02-10
  • ISBN-10:475051425X
  • ISBN-13:978-4750514253
内容紹介:
ピュリツァー賞作家が「戦争の癒えない傷」の実態に迫る傑作ノンフィクション。内田樹氏推薦! 本書に主に登場するのは、5人の兵士とその家族。 そのうち一人はすでに戦死し、生き残った者た… もっと読む
ピュリツァー賞作家が「戦争の癒えない傷」の実態に迫る傑作ノンフィクション。内田樹氏推薦!

本書に主に登場するのは、5人の兵士とその家族。 そのうち一人はすでに戦死し、生き残った者たちは重い精神的ストレスを負っている。
妻たちは「戦争に行く前はいい人だったのに、帰還後は別人になっていた」と語り、苦悩する。
戦争で何があったのか、なにがそうさせたのか。
2013年、全米批評家協会賞最終候補に選ばれるなど、米国各紙で絶賛の衝撃作!

「戦争はときに兵士を高揚させ、ときに兵士たちを奈落に突き落とす。若い兵士たちは心身に負った外傷をかかえて長い余生を過ごすことを強いられる。
その細部について私たち日本人は何も知らない。何も知らないまま戦争を始めようとしている人たちがいる。」(内田樹氏・推薦文)

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

兵士は戦場で何を見たのか / デイヴィッド・フィンケル
兵士は戦場で何を見たのか
  • 著者:デイヴィッド・フィンケル
  • 翻訳:古屋 美登里
  • 出版社:亜紀書房
  • 装丁:単行本(410ページ)
  • 発売日:2016-02-11
  • ISBN-10:4750514373
  • ISBN-13:978-4750514376
内容紹介:
戦争は兵士たちの身体を無慈悲にかつ無意味に破壊する。失明、火傷、四肢切断……本書はイラクで米軍兵士たちの身体がどう破壊されたかを詳細に描いている。自衛隊の派兵の可能性について語る人… もっと読む
戦争は兵士たちの身体を無慈悲にかつ無意味に破壊する。失明、火傷、四肢切断……本書はイラクで米軍兵士たちの身体がどう破壊されたかを詳細に描いている。自衛隊の派兵の可能性について語る人たちにまず読んで欲しい――内田樹氏・推薦

心臓が止まるような作品――ミチコ・カクタニ(「ニューヨーク・タイムズ」紙)

『イーリアス』以降、もっとも素晴らしい戦争の本――ジェラルディン・ブルックス(ピュリツァー賞作家)

2015年の話題作『帰還兵はなぜ自殺するのか』の前編、ついに翻訳!

2007年、カンザス州フォート・ライリーを拠点にしていた第16歩兵連隊第2大隊がイラク

に派遣される。勇猛な指揮官カウズラリッチ中佐は任務に邁進するが、やがて配下の兵士たちは攻撃を受けて四肢を失い、不眠に悩まされ、不意に体が震えてくる……

ピュリッツァー賞ジャーナリストが、イラク戦争に従軍したアメリカ陸軍歩兵連隊に密着。
若き兵士たちが次々に破壊され殺されていく姿を、目をそらさず見つめる。
兵士たちの心の病に迫った話題作『帰還兵はなぜ自殺するのか』をもしのぐ衝撃のノンフィクション!

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

これで戦争の本は終わりにするつもりでいた。次に亜紀書房とする仕事は楽しいものになるはずだった。ところが編集の方が、「シリアに入って戦争中の女性や子供など市民の様子を取材している女性ジャーナリストの本を読みたくありませんか。これは古屋さんでなければ訳せない作品だと思います」と仰ったのである。信頼してくださるのはありがたかったが、フィンケル作品を翻訳中、大げさではなくこちらの精神は確実にすり減り、むしろ夥(おびただ)しい血や肉体の損傷に無感覚にさえなっていた。これ以上悲惨きわまりない戦争の本を訳すのは無理かもしれないと思ったが、シリアで虐げられている女性や子供たちの現実を無視することはできなかった。

シリア内戦の凄まじい残虐性を明らかにしたジャニーン・ディ・ジョバンニの『シリアからの叫び』(原題「MORNING THEY CAME FOR US)はそうしてこちらの神経をことごとく破壊して出版された。

しかし今になってみれば、「亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ」に収められたこの三作品(戦争三部作と個人的に呼んでいる)を訳せてよかったとつくづく思う。よい仕事をさせていただいた。優れたジャーナリストとはどういうものか、事実をどのように(映像ではなく)言葉で伝えようとしているか、表現とはなにか、そうしたことを日本語にする過程で深く考えることができた。これはフィクションを訳すときとは違った貴重な体験であった。翻訳者はいつも言葉の挑戦者でなければならない。奇をてらったり、新しい解釈をおこなったりすることより、原作の持つニュアンスとリズムと手法を足すことも引くこともなく日本語に置き換えるために挑戦しつづけることが大事である。この戦争三部作で訳者はまさにチャレンジングな体験をすることができた。

本シリーズのなかには良質な作品が数多く収められている。しかも最新作の『息子が殺人犯になった コロンバイン高校銃乱射事件・加害生徒の母の告白』『失われた宗教を生きる人々 中東の秘教を求めて』をはじめとして、力作揃いである。世界で起きている出来事や事件を詳しく知ることで、読み手の見方や考え方が広がるだけでなく、日本の置かれた状況を客観的に見つめることができる。本シリーズは亜紀書房の誇りであり、出版界全体へのメッセージでもある。こうした地味であるが大きな意味のある作品を出版し続け、問題を投げかけていく姿勢は、ひとりの読者としても頼もしく感じている。

最後に、二〇一八年のことを。訳すのに何年もかかったノンフィクション作品を出していただく予定である。今回は直接戦争とはかかわりがないが、戦いという意味では、亡くなるまで表現をめぐって戦い続けた、アメリカを代表する、否、二十世紀を代表する漫画家の伝記である。どうぞお楽しみに。

[初出:亜紀書房創業50週年記念誌(2017年12月7日)]

シリアからの叫び  / ジャニーン・ディ・ジョヴァンニ
シリアからの叫び
  • 著者:ジャニーン・ディ・ジョヴァンニ
  • 翻訳:古屋 美登里
  • 出版社:亜紀書房
  • 装丁:単行本(256ページ)
  • 発売日:2017-03-04
  • ISBN-10:4750514454
  • ISBN-13:978-4750514451
内容紹介:
目覚めると町は戦場になっていた女性ジャーナリストが内戦初期のシリアに生きる人々を取材。砲弾やスナイパーや拷問の恐怖の下で暮らし、子供を育てるとはどういうことか。戦争とは、一体な… もっと読む
目覚めると町は戦場になっていた

女性ジャーナリストが内戦初期のシリアに生きる人々を取材。砲弾やスナイパーや拷問の恐怖の下で暮らし、子供を育てるとはどういうことか。戦争とは、一体なんなのか。危険のただなかで語り出される、緊迫のルポルタージュ。


想田和弘氏(映画作家)推薦!
著者はシリアに入り、一般市民の目線でその恐るべき実態を描写する。彼女自身命がけ。よくもこんな取材ができたものだと圧倒される。本書はシリア人と著者の血で綴られた貴重な「歴史書」であり、平和な国の住民にとっては不吉な「予言の書」である。

全米各紙で絶賛!
ノーベル賞作家アレクシエーヴィチを彷彿とさせる。灼けつくような、必読の書。
 ―ミチコ・カクタニ(「ニューヨーク・タイムズ」書評)

必読。抽象的政治的な観点からではなく、あくまで人間に寄り添って描かれた、シリアの革命と内戦のルポ。      ―ロビン・ヤシン・カッサブ(「ガーディアン」書評)

2016年刊行と同時に、「パブリッシャーズ・ウィークリー」「ブックリスト」「カーカス・レビュー」「フィナンシャル・タイムズ」ほか全米で書評多数。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
ページトップへ