教訓もたらす湯船からの史実
歴史を扱うのは難しい。それが作られる渦中では全体が見えず、それがまさに歴史となっていく過程では、忘却や風化とたたかうことが求められる。風化の先には、史実の否定やねじまげが起こる。二人の風呂好きノンフィクションライターが、こうした歴史修正主義にあらがうべく、76年前に終結したアジア太平洋戦争の、戦蹟や語り部を訪ねる旅に出る。そして行く先々で、お風呂に入る。湯船から見た歴史とでもいうような構成の本なのだが、風呂と戦争、突拍子もない組み合わせでもないらしい。
たとえば、タイのヒンダット温泉は、旧日本軍が保養地として作ったという。タイで日本軍は、タイとビルマ(現・ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道を、捕虜を酷使して作らせた史実がある。鉄道と温泉は、戦争でつながる。
それから二人は米軍施政下の時代から沖縄で営業している銭湯を訪ねる。そこには、沖縄戦も、占領も知る人が身を沈めている。
かつて日本の植民地だった韓国の湯に古老を訪ね、大陸から引き揚げてきた人たちに温かい湯を提供した湘南の銭湯の名残を取材し、そこで出合った驚くべき史実に導かれて、瀬戸内海に浮かぶ島に飛び、国民休暇村の湯につかる。うさぎの島として知られる大久野島の存在は、戦争中は地図から消されていたという。そこでは毒ガスが作られていたからだ。
戦争が残した傷は、思ったよりすぐ近くに残っていると気づかされた。冒頭に、忘却や風化と書いたが、歴史はそんなことを許そうとはしていないと思えてくる。
「引き揚げ者と銭湯」というテーマで神奈川県高座郡寒川町に行く第4章から、大久野島に至る最終章は圧巻で、この国が戦争をしていた時代と、わたしたちの生きる現在は、しっかりと地続きであることを、改めて考えさせられる。
大久野島で作られた毒ガス兵器は中国大陸に運ばれて2000回以上も使用されたという。しかし戦争犯罪を問われるのを恐れた戦後の日本で、この史実は隠された。知られるようになったのは戦後40年、50年経ってからということらしい。作られるそばから隠ぺいされる歴史もある。忘却どころか、知られることもなく埋もれていってしまうのだ。時を経て、心ある人々によって発掘、検証されてはじめて、それらはわたしたちに教訓をもたらす史実になる。
毒ガス兵器は、終戦の混乱に乗じて遺棄され、いまも、うっかりそれらに触れた人を傷つけ続けているという。そして、戦争の現実の中では加害者が被害者でもありうる。中国で使われた毒ガスは、それを作った人たちの健康をも奪ったからだ。
こんなにも現在と密接な関係にある歴史を、学ばないなんて許されない。ましてや、隠ぺいし、ねじまげて、嘘の歴史を作るなんてことは。と、つい、肩に力も入るが、大事なのは、そうした史実を自分の心に刻み付けて、日々の生活を送り、忘れずにいること、必要なときには次世代にも語り伝えることなのだろう。新型コロナウイルスが落ち着いて、また自由に旅ができるようになったら、美しい風景を見に行きたいし、おいしいものも食べに行きたい。そんな折には、土地の歴史に耳を傾け、それが教えてくれることを、湯につかって噛みしめてみたいものだと思った。