書評
『ウェイクフィールド / ウェイクフィールドの妻』(新潮社)
多くの方にとっては『緋文字』という姦通小説の作者であり、しかし、英文科出身でもない限り、その名作すら読んだことがないという、文学史上に恭(うやうや)しく措かれちゃった感のある放置プレイ作家ナサニエル・ホーソーンの短篇に、ちょっと奇妙な失踪小説「ウェイクフィールド」があるんです。〈何かの古い雑誌か新聞で、ある男の物語が実話として語られていたのを筆者は記憶している〉という断り書きから始まるこの物語は、ウェイクフィールドという男がある日、旅行に出ると偽って家を出て、それから二十年後、妻も寡婦暮らしを受け入れた頃になって突然帰宅するまでを描いているんだけど、この男がどこにいたかといえば、なんと自宅の隣の通りにある下宿屋なのである。おまけに、ときどき家の前まで行っちゃあ妻の姿をチラ見したりしてたってんだから、かなりな変人。
さて、この短篇を読んだ人なら必ずや、ウェイクフィールド夫人の気持ちに思いを馳せるはずなんである。不安だったろうなあ、驚いたろうなあ、よく許したもんだなあとか何とか。というわけで今回おすすめしたいのが、エドゥアルド・ベルティの小説なのだ。何の前触れもなく夫チャールズに出ていかれた妻エリザベスの側から描いた「ウェイクフィールド」譚。でも、この小説にいわゆるフェミニズム系の視点を期待しても無駄であります。チャールズがどうして家を出たのかといった、ホーソーンの小説にある数々の謎の解明を期待しても肩すかしでありましょう。むしろ、逆。ベルティの小説を読むと、謎は一層深まるばかりなのだ。
だって、この小説でエリザベスは早々に夫を発見してしまうんだから。なのに声をかけることなく、ストーカーのように後をつけて行動パターンを調べたり、下宿先を突き止めて家主の女性に夫の様子の探りを入れたりする始末。キャロル・リード監督に『フォロー・ミー』って映画があったけれど、ミア・ファロー演じるヒロインを探し回る探偵よろしく、エリザベスは不安と疑問をいっぱいに抱えながらも、自分が知っていた男ではなくなってしまった夫を追跡する行為を、心のどこかで愉しんでいるのではないかと思わせる熱心さで遂行するのだ。
日記に〈人は最初の場所に留まり続ける者とそうでない者とに分かれる〉等々の箴言を書きつけ、どうやら世の中を白黒はっきり分類したがる性癖の持ち主であるらしいエリザベスが、しかし、白黒はっきりつかない状況に二十年間も捨て措かれることで、〈己の場を永久に失う恐ろしい危険に身をさら〉し、〈宇宙の追放者になってしま〉った夫に対する理解を少しずつ深めていく。その意味で、これはある種の捻(ねじ)れた恋愛小説なのではないか、という風にもわたしには読めるのだ。そしてまた、ベルティ作品における夫妻のありようは、実話を下敷きにした「ウェイクフィールド」と、そんなホーソーン作品を語り直した「ウェイクフィールドの妻」の関係性にも呼応している。優れて現代文学的な仕掛けが施されているのに、読み心地は古典クラス。本家ホーソーンに恥じない傑作なのだ。
【この書評が収録されている書籍】
さて、この短篇を読んだ人なら必ずや、ウェイクフィールド夫人の気持ちに思いを馳せるはずなんである。不安だったろうなあ、驚いたろうなあ、よく許したもんだなあとか何とか。というわけで今回おすすめしたいのが、エドゥアルド・ベルティの小説なのだ。何の前触れもなく夫チャールズに出ていかれた妻エリザベスの側から描いた「ウェイクフィールド」譚。でも、この小説にいわゆるフェミニズム系の視点を期待しても無駄であります。チャールズがどうして家を出たのかといった、ホーソーンの小説にある数々の謎の解明を期待しても肩すかしでありましょう。むしろ、逆。ベルティの小説を読むと、謎は一層深まるばかりなのだ。
だって、この小説でエリザベスは早々に夫を発見してしまうんだから。なのに声をかけることなく、ストーカーのように後をつけて行動パターンを調べたり、下宿先を突き止めて家主の女性に夫の様子の探りを入れたりする始末。キャロル・リード監督に『フォロー・ミー』って映画があったけれど、ミア・ファロー演じるヒロインを探し回る探偵よろしく、エリザベスは不安と疑問をいっぱいに抱えながらも、自分が知っていた男ではなくなってしまった夫を追跡する行為を、心のどこかで愉しんでいるのではないかと思わせる熱心さで遂行するのだ。
日記に〈人は最初の場所に留まり続ける者とそうでない者とに分かれる〉等々の箴言を書きつけ、どうやら世の中を白黒はっきり分類したがる性癖の持ち主であるらしいエリザベスが、しかし、白黒はっきりつかない状況に二十年間も捨て措かれることで、〈己の場を永久に失う恐ろしい危険に身をさら〉し、〈宇宙の追放者になってしま〉った夫に対する理解を少しずつ深めていく。その意味で、これはある種の捻(ねじ)れた恋愛小説なのではないか、という風にもわたしには読めるのだ。そしてまた、ベルティ作品における夫妻のありようは、実話を下敷きにした「ウェイクフィールド」と、そんなホーソーン作品を語り直した「ウェイクフィールドの妻」の関係性にも呼応している。優れて現代文学的な仕掛けが施されているのに、読み心地は古典クラス。本家ホーソーンに恥じない傑作なのだ。
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初出メディア

Invitation(終刊) 2005年1月号
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