書評
『僕はマゼランと旅した』(白水社)
いろんな声の持ち主がいる。一心に耳をすまさないと聞こえないくらい小さな声。陽気で明るいはっきりした声。耳障りなのに、どこか心惹かれるだみ声。オペラ歌手のように朗々と響くのに、なぜか心に残らない美声。イライラさせられるほど調子っぱずれな声。誰も真似ができないような独特のリズムが心地いい声。小鳥がさえずってるように楽しげな声。優等生が教科書を読み上げる時みたいにつまらない声。不吉な声。穏やかな声。優しい声。不機嫌な声。声、声、声。小説を開くと、いろんな声が聞こえてきます。小説を読むというのは、だから声を聞くということなのです。小説を書くというのは、どんな声を選ぶのかということなのです。翻訳というのは、作者の声をできるだけ損なわずに読者に手渡すということなのです。そのことをよく伝えるのが、柴田元幸の訳したスチュアート・ダイベックの連作短篇集『僕はマゼランと旅した』ではないでしょうか。
音楽の才能豊かだったのに朝鮮戦争従軍の経験で何かが決定的に損なわれてしまったレフティ叔父さん。叔父さんの肩に乗せられ、酒場を歌って回り小銭稼ぎをしていた〈僕〉の子供時代から青年時代までを十一の短篇で綴ったこの一冊の中には、たくさんの個性的な声が響きわたり、共鳴しあっています。基調をなしているのは語り手〈僕〉の声だけれど、図書館で借りてきた探検家の本に夢中になり、兄の〈僕〉と二人ベッドの船に乗って冒険ごっこをする幼いミックががなりたてる〈僕はマゼランと旅した、ウー―ウー―ウー/オー、オー、オー〉という歌声や、クレイジーな殺し屋ジョーの昏く甘やかな声、膝を痛めた元覆面ルチャドール(メキシコのプロレスラー)、テオの温かい声、戦争で片腕を失った酒場の主人ジップの思慮深い声、愛する弟を失った少年チェスターの声にならない声、ものを買う時いつだって値切らないではいられない父の〈僕〉にとってはしみったれてるとしか聞こえない声、野生の蘭で一儲けを企む悪友のエネルギッシュな声、とうとうセックスをしないまま別れてしまった恋人の神経質な声、子供時代のレフティとその祖母の間で交わされる愛情溢れる声など、大勢の人の声が高く低く、重く軽く、いろんなトーンで聞こえてくる小説になっているのです。
少年小説、青春小説、家族小説、恋愛小説、都市小説、ノワール小説。短篇同士が緩やかな関係を持ち、それぞれの声が別の物語の声と呼応しあい、最後に置かれた一篇が冒頭に置かれた一篇へとつながっていく、そんな巧みな構成を持ったこの連作集には、さまざまなジャンルの物語の愉しみが詰まっています。それらはすべて〈僕〉によって記憶された物語たちです。作中、〈僕〉は作家志望の恋人からこんなことを言われます。
‟忘れがたい瞬間”を、その瞬間を作り出した人の声で生き生きと蘇らせる。それこそが作者のこの小説を書くにあたっての望みだったのではないでしょうか。だとすれば、大成功です。柴田元幸という最高の訳者の最高の仕事によって、日本語においてもその望みは達成されているというべきでしょう。この作品を読みながら、わたしは懐かしい人たちの懐かしい声に呼ばれたような気がして、本から目を上げることが幾度もありました。いろんな記憶が蘇りました。どうぞ、皆さんもゆっくり読んで下さい。自分の記憶に寄り道しながら、ゆっくりと。大勢の懐かしい人たちの声に呼び止められながら、ゆっくりと。
【この書評が収録されている書籍】
音楽の才能豊かだったのに朝鮮戦争従軍の経験で何かが決定的に損なわれてしまったレフティ叔父さん。叔父さんの肩に乗せられ、酒場を歌って回り小銭稼ぎをしていた〈僕〉の子供時代から青年時代までを十一の短篇で綴ったこの一冊の中には、たくさんの個性的な声が響きわたり、共鳴しあっています。基調をなしているのは語り手〈僕〉の声だけれど、図書館で借りてきた探検家の本に夢中になり、兄の〈僕〉と二人ベッドの船に乗って冒険ごっこをする幼いミックががなりたてる〈僕はマゼランと旅した、ウー―ウー―ウー/オー、オー、オー〉という歌声や、クレイジーな殺し屋ジョーの昏く甘やかな声、膝を痛めた元覆面ルチャドール(メキシコのプロレスラー)、テオの温かい声、戦争で片腕を失った酒場の主人ジップの思慮深い声、愛する弟を失った少年チェスターの声にならない声、ものを買う時いつだって値切らないではいられない父の〈僕〉にとってはしみったれてるとしか聞こえない声、野生の蘭で一儲けを企む悪友のエネルギッシュな声、とうとうセックスをしないまま別れてしまった恋人の神経質な声、子供時代のレフティとその祖母の間で交わされる愛情溢れる声など、大勢の人の声が高く低く、重く軽く、いろんなトーンで聞こえてくる小説になっているのです。
少年小説、青春小説、家族小説、恋愛小説、都市小説、ノワール小説。短篇同士が緩やかな関係を持ち、それぞれの声が別の物語の声と呼応しあい、最後に置かれた一篇が冒頭に置かれた一篇へとつながっていく、そんな巧みな構成を持ったこの連作集には、さまざまなジャンルの物語の愉しみが詰まっています。それらはすべて〈僕〉によって記憶された物語たちです。作中、〈僕〉は作家志望の恋人からこんなことを言われます。
「私は物事のつながりを愛し、長篇小説の全体像を好む。そしてあなたは……あなたは人生を〈忘れがたい瞬間〉集として捉えている」
‟忘れがたい瞬間”を、その瞬間を作り出した人の声で生き生きと蘇らせる。それこそが作者のこの小説を書くにあたっての望みだったのではないでしょうか。だとすれば、大成功です。柴田元幸という最高の訳者の最高の仕事によって、日本語においてもその望みは達成されているというべきでしょう。この作品を読みながら、わたしは懐かしい人たちの懐かしい声に呼ばれたような気がして、本から目を上げることが幾度もありました。いろんな記憶が蘇りました。どうぞ、皆さんもゆっくり読んで下さい。自分の記憶に寄り道しながら、ゆっくりと。大勢の懐かしい人たちの声に呼び止められながら、ゆっくりと。
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