◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
大勢の人間の声が共鳴しあう連作短篇集
あー、すごい。いー、すごい。うー、すごい。えー、すごい。おー、すごい。あ行すべてを使って褒めあげたい傑作がスチュアート・ダイベックの『僕はマゼランと旅した』なんであります。世の中には“何を書くか”にこだわる、つまりテーマや物語に力点を置く作家もおられますが、オデはどっちかっつーと“いかに書くか”、すなわち文体や技巧に心を砕く作家がより好み。ところで、文体っていうのは、一人称視点で書かれた小説の場合、語り口と称されることが多いんですが、オデはそれを“声”と呼びたいの。で、その声も、できれば単声ではなく複数の声が響きあう多声タイプであっていただきたいの。そんな贅沢を小説に望んでる四十四歳独身蟹座のA型なんですの。というわけで、魅惑のミラクルボイスを発するダイベックの連作短篇集をおすすめする次第。音楽の才能豊かだったのに朝鮮戦争従軍の経験で何かが決定的に損なわれてしまったレフティ叔父さん。叔父さんの肩に乗せられ、酒場を歌って回り小銭稼ぎをしていた〈僕〉の子供時代から青年時代までを十一の短篇で綴ったこの一冊の中には、たくさんの個性的な声が響きわたり、共鳴しあってるんです。基調をなしているのは語り手〈僕〉の声だけど、やんちゃな弟のミックやしみったれてる父親をはじめとする家族の声、友達の声、ガールフレンドや恋人の声、主人公の周囲にいる大人たちの声など、大勢の登場人物の声がいろんなトーンで聞こえてくる小説になってるんです。
おまけに、短篇同士が緩やかな関係を持ち、それぞれの声が別の物語の声と呼応しあい、最後に置かれた一篇が冒頭に置かれた一篇へとつながっていく、そんな巧みな構成を持ったこの連作集には、さまざまなジャンルの物語の愉しみが詰まってるんですの。少年小説、青春小説、家族小説、恋愛小説、都市小説、ノワール小説。つまり、お買い得ってことだすわね。だすわよ。オデがとりわけ感心したのは、〈僕〉が直接登場しない一篇「胸」だなあ。クレイジーな殺し屋の昏く甘やかな声に、膝を痛めた元覆面ルチャドール(メキシコのプロレスラー)の温かな声と、レフティ叔父さんも常連だった酒場の主人の思慮深い声が重なって、見事なノワール小説になってるんですの。
人生の様々なシーンで生まれる忘れがたい瞬間を、大勢の人間のポリフォニックな声によって、生き生きと蘇らせるダイベックの小説。好きだなあ、こういう小説。売れてほしいなあ、こういう小説こそが。みんな、買ってよお、よおよおよおっ!
【この書評が収録されている書籍】