先日文庫化された『対談集 六人の橋本治』(橋本治著・中公文庫・1100円)では、一つのテーマに基づいて対話を重ねている。高橋源一郎と短編小説について、浅田彰と日本美術史について、天野祐吉と時評について、といった具合。でも、すぐにはみ出す。そして、読み手を挑発するようなことを言う。
「人はだいたいばれてるものじゃない。そのばれてることを、何となく小出しにしながらつきあいを成り立たせているわけだから、自分が人にわかられるはずがないという前提で人とつきあうのはおかしいじゃない」(高橋源一郎との対談)
小説を読み、なんで私たちのことがわかるのかと問われ、こう答えてみせた。
どんなジャンルであっても、「手を出した後で一生懸命頑張る」という鉄則に基づいて仕事をしていく。すると、『ひらがな日本美術史』も『小林秀雄の恵み』も『窯変(ようへん) 源氏物語』も書けてしまった。
「人のリアリティというのは思いもよらない変な要素を持っていることだと思っている」ので、小説で人物を書くときには「特徴を強調するんじゃなくて、変なものを入れ込んでいってそれが自然に収まるようにする」(宮沢章夫との対談)とのこと。
この人は一体何を書きたかった人なのか、との問いを抱えながら読んだが結論は出ない。改めて「まえがき」を読むと、自分は「どっかの舞台で活躍はしているのかもしれないけれど、それとは無関係に不思議なキャラクターを買われてテレビのバラエティー番組に出ている舞台俳優」のようだと分析していた。
何だそれ、と思う。確かに、とも思う。何者だったのか、まだまだわからせない。