書評
『万年筆バイブル』(講談社)
この小さな恋人ができると「毎日が、人生が変わる」
高校に受かったとき、バス会社の売店に勤めていた姉が丸善で万年筆を買ってくれた。当時、私の郷里姫路には、なぜか丸善が支店を置いていた。「丸善で万年筆」は年の始めの朝日のように輝かしかった。パイロット万年筆だった。姉はパーカーにしたかったが、と小声で言って、あとは言わなかった。パーカーだと安月給のひと月分がふっとんだのではあるまいか。
高校新入生はむろん、パイロットで大満足で、ハーハー息を吐きかけてエボナイトを磨き、さっそく新しいノートに気取った横文字で名前を書いた。
大学に進み、長期のアルバイトで大金が手に入ったとき、恋人をさそって万年筆を買いにいった。日本橋・丸善のパーカーと決めていたのだが、東京生まれ、東京育ちの恋人はヘンなことを言った。「イトーヤ」がいいと言うのだ。万年筆ならイトーヤにしよう。私はそんな古手の呉服屋みたいな店はごめんだと思ったが、しぶしぶついていった。呉服屋ではなくて文房具店で、万年筆コーナーがあった。パーカーのほかにも夢のモンブランがあった。ペリカンがあった。イタリアの手作り万年筆があった。目がクラクラした。
恋人の手前もあって、崖から跳び下りるような気持ちでモンブランを買った。彼女とは三年とつづかなかったが、モンブランはその後の三十年を支えてくれた。ペン先がいよいよダメになったとき、四国の金刀比羅宮の宝物館の片隅に、無断でそっと納めてきた―。
伊東道風『万年筆バイブル』を読みながら、そんなことをあれこれ思い出した。著者は仮名くさいが、そのとおりで、銀座で知られた老舗文房具専門店「伊東屋」の万年筆セクションのスタッフが、大昔の名書家にちなんで名づけた。その道風(みちかぜ)氏によると、このネット全盛時代に万年筆が復活し、その「魅力が見直されてきた」という。万年筆人生六十年の私にすると、この精密な筆記用具がスタれる道理がないと思うのだが、ひところは凋落(ちょうらく)がいわれていたらしい。見直されるきっかけはさまざまだが、一番大きな理由はスタッフの言うとおり、この小さな恋人ができると「毎日が、人生が変わる」ということ。
全四章に万年筆について知るべきことが、丁寧にしるしてある。「万年筆の仕組みと科学」を読んで、万年筆特有の「単純で複雑」な構造に目を丸くする人もいるにちがいない。
そもそも「万年」筆の命名からしてオリジナルだが、ペン先の精妙な成り立ちは、どうだろう。ペン芯には人体の心臓に似た無数のミゾがあるが、万年筆が生まれるまでに人体にもひとしい創造譚(たん)があったものと思われる。いかにも人間的な知恵と工夫がそそがれているのだ。
一般的に万年筆は、持った時に、人差し指と親指のつけ根にある股の部分に重心が来るものが一番、持ちやすいとされています。
語り口がいい。必要なことを必要なことばで述べて、少しもムダがない。それでいて全体はやさしさと丁重さ、素材に対する敬意と愛情で一貫している。
それは「文体」とよんでもいい語りであって、めったに出くわさない貴重品だ。万年筆づくりには職人芸の要素が大きいが、うれしいことに万年筆売り場にも及んでいる。
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