福本伸行の『カイジ』はマンガ版『麻雀放浪記』だ!
「週刊ヤングジャンプ」を手にとると、当然のことながら最初に見るのは本宮ひろ志の『サラリーマン金太郎』、「ヤングサンデー」なら『花マル伝』(ところで氷室と木元の78キロ級決勝戦はどちらが勝つのだろう。たぶん木元だとは思うが、作者としても簡単に勝たせないだろうしなあ)を読んでから『デカスロン』、「ビッグコミックスピリッツ」はまず『奈緒子』でそれから『最終戦争ちょんまげどん』、気分が落ちついてから『ギャラリーフェイク』とだいたい読む順番は決まっている。そう、「少年サンデー」なら『DAN DOH!!』→『ガンバ!Fly high』、「ビッグコミックオリジナル」なら『風の大地』→『おかみさん』、「ビッグコミックスペリオール」なら『あずみ』→……以下、同様。やはり誰だって気に入った漫画から読みたくなるではありませんか。
そのぼくが、いま雑誌の発売日が来るのがいちばん楽しみなのは「ヤングマガジン」。もちろん、福本伸行の『賭博黙示録 力イジ』が載っているから!
はじめて『カイジ』を読む読者は絵柄の粗さにとっつきにくさを感じるかもしれない。けれど、一度このマンガの魅力にとりつかれるや、あなたはもう逃れられなくなるはずである。サブタイトルにもあるように、『カイジ』は純粋のギャンブルマンガである。もちろん、ギャンブルはマンガでも大きなテーマの一つで、中でも麻雀マンガはそれだけで単独ジャンルを形成している。だが、麻雀マンガには超えることのできない壁があった。いうまでもなく、阿佐田哲也の不滅の傑作『麻雀放浪記』である。いや、超えられぬ壁と感じていたのは、麻雀マンガだけではあるまい。それが小説であれ、映画であれ、ギャンブルを表現して『麻雀放浪記』を超えたものを(そう、ドストエフスキーの『賭博者』を例外とするなら)ぼくもまた寡聞にして知らない。だからこそ、ぼくは『カイジ』を読んで驚いたのだ。あの『麻雀放浪記』に肉薄しようとする作品が、小説や映画やテレビではなく、マンガから出てきたことにである。
主人公のカイジは食い詰めた青年だ。ほとんど働きもせず、希望もなく、酒とギャンブルに明け暮れている。
ある日、カイジがサラ金の保証人になってやった友人が逃亡し、カイジには返済不可能の借金が残る。そんなカイジに取り立て屋がある「提案」をする。
それは多額の借金を抱えて破滅寸前の者ばかりを集めたギャンブル船への誘いである。そこへ行き、あるギャンブルに参加し、幸運にも勝ち残れば借金は帳消し、いやそれどころか多額の現金を手にすることさえできる。逆にそこで負ければ、後は説明するだにおぞましい、死よりも屈辱的な世界が待っているのである。
ためらい、悩んだあげく、カイジは希望を求めてギャンブル船へ乗り込むことを決断する。
同じように、細い糸のような可能性に命を託して集まった男たちは百三人。彼らの前で主催者が発表したギャンブルはなんとジャンケンであった……。
ここから読みはじめて、ジャンケンというものがこんなに恐ろしいものになりうるとは誰も想像できないだろう。カイジはいま壮大なジャンケン戦を終えて、第二の戦いに挑んでいる。その第二戦のはじまりを告げる単行本第六巻の真ん中あたりで、我が賭友たちの何人かは不覚にも涙をこぼしたと告白している。その第六十五話「落涙」を読みながら、ぼくはついに『麻雀放浪記』に匹敵する作品が現れたと呟いたのだった。
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