新しいことが最高だった幸福な時代
「ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた。」――これが本書の、肩肘張らない、今風にいえばユルいタイトルだが、そこでいう「この雑誌」とは、一九五八年八月号を創刊号として、それからちょうど五年続いた、「世界最高のハードボイルド探偵小説雑誌」と表紙の謳(うた)い文句にある、「マンハント」という月刊誌のことである。本書は、「フリースタイル」という雑誌に「マンハントとその時代」と題して連載された記事をまとめたもので、つまりは「マンハント」という雑誌について書かれた雑誌連載記事という、雑誌好きにはたまらない、幸せな書物だ。断っておくが、わたしは「マンハント」を一冊も読んだことがない。だから「マンハント」についてなにひとつ知らないが、そんな人間にも、「マンハント」を中心にしながら、その時代の雑誌事情の周辺を自由に語り、「マンハント」にどんな記事が載っていたか、その雑誌に集まっていたのがどんな編集者や書き手だったのかをくわしく語る本書が、どうしてこれほどまでにおもしろく読めてしまうのか。
著者の鏡明は、「もしも『マンハント』がなかったら、いまのぼくはなかった」という。そして、「ぼくはSFファンであったろうし、ミステリファンであっただろうと思うけれども、文章を書く側にいたとは思わない」とも書く。つまり、「マンハント」という雑誌が、著者を作り上げた。こういう感慨を持つ人間は、一定の年齢以上の世代に多いのではないだろうか。わたしも、「奇想天外」や、海外誌でいうなら「PLAYBOY」という雑誌を読んで育ったという実感を持っている。それだから、「ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた。」という、その思いに共感できるのだ。
なぜそこまでに、著者が「マンハント」に対して思い入れを抱いたのか。それは、「マンハント」がハードボイルド探偵小説の「専門誌」ではなく、いい意味でいい加減な「雑誌」であったからだ。今でいえば超訳もどきの翻訳小説もあれば、洒落(しゃれ)たコラムもある。むしろ、「マンハント」の売り物はこのコラムで、そこには小鷹信光、テディ片岡(後の片岡義男)、そして植草甚一といったライターが揃(そろ)っていた。こうした書き手たちは、それぞれに関心の核となるものを持ちながら、なんでもありという自由な雑誌の場を借りて、旺盛な好奇心で吸収した雑駁(ざっぱく)な情報を読者に提供していた。そして読者は、彼らを信頼できるガイドあるいはモデルとして、コラムという窓からアメリカ文化という自由の空気を吸った。それは、新しいことが最高だという時代の風潮を反映していた。だから、著者にいわせれば、「マンハント」はハードボイルド探偵小説雑誌という枠に収まらない、「カルチャー・マガジン」だった。
雑多で猥雑(わいざつ)なものを愛する著者の嗜好(しこう)は、それこそ雑誌育ちのものだ。「マンハント」に始まり、ライバル誌の「ヒッチコック・マガジン」、「笑の泉」や「100万人のよる」といった当時のエロ雑誌、PR雑誌の「洋酒天国」、アメリカン・コミックス、ペーパーバックなどなど、話題は次から次へと広がっていく。そして、けっして気どらない、自由闊達(かったつ)な語り口。言い換えれば、『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた。』というこの本こそが、「マンハント」という雑誌のスタイルをそっくり体現しているのだ。
幸せな時代だったと思う。それを考えれば、日本のみならず世界中で雑誌の売り上げが落ちている現在は、不幸な時代なのかもしれない。