書評
『よい病院とはなにか―病むことと老いること』(講談社)
万古不易の問い
たまさか図書館で関川夏央の本を棚から抜くと、そのまましゃがんで最後まで読むことがある。
それだけ引きつける力がある。明治文学の素養を咀噛(そしゃく)して、自己批評すなわちユーモアを砦(とりで)とした水際だった文体。
そんな力技の主が「病院的世界」にとりくむとどうなるのか。『よい病院とはなにか』(小学館)で、その意図は前書きで明確に述べられている。
「もともとの動機はわが身に迫る病気と老いへの恐怖だった。永らく病院と縁を深くせず過ごしてこられたのはまさに僥倖である。しかし人間は誰でも病気と老いと死から逃れられないと定まっている以上、いずれは病院とつきあうことになるのである」
嫌悪や恐れを拭(ぬぐ)う早道は調べることと思い定め、臆病さゆえに、五年ごしの長い取材に着手したという。
しかし本書は感情的な体験談ではなく、専門用語飛びかう医療関係者による本でもなく、ましてジャーナリスティックな告発の書でもない。「できるだけ誠実で周到な常識人の視線で病院的世界を観察」しようとした。それが本書のユニークさである。
まずは心臓外科で狭心症のバイパス手術を、白い手術服を着て体験する。
露出した心臓というものをはじめて見たが、意外なことに嘔吐や失神に対する恐れは杞憂だった。心臓はむしろ機能的であり、美しいとさえ思えた。
そこには劇的な展開はまったくなかった。冷静さと緻密さだけがものをいうひそかな時間だけがあった。
手術用スニーカーをはいて数時間の立ち仕事。練達の執刀医は「外科医としては一生に五千人くらいしか患者を救えない。……その間に何人の優秀な医者を育てられるかですね」と語る。
第二章は末期のがん病棟。「つらいときはつらいといってね。こわいときはこわいといってね。きょうも一日がんばろうね」と声をかけながら病院内をゆくナースの〈歩行〉によってホスピス・ケアは支えられる。
患者の手術前の不安、死の覚悟、それでも「会社が大事」、社会復帰への要求、喉(のど)元すぎればまた「死ぬことがわからなくなる」人間の性こりのなさ……その心のケアもひきうけるナースという仕事の意味。
全編を通じて、医療の近代化、先端化以前に、こうした患者への受容的コミュニケーションが大切だと著者は書く。しかし同時に、患者の心理や死をかかえ込むナースの感情もまた受容されなければならない。「白衣の天使」と持ち上げられつつ精神主義で過酷な労働をしいられるナースはいまの二倍の待遇で遇されるべきだ、というのが著者の感想だ。
三章では脳神経外科、四章では老人病棟、最終章では特別養護老人ホームが取材される。「クモ膜の美しさはまるで含水量豊かなサランラップ」といった表現や、何を話しても「あんたのおかげじゃ」と答える老人のユーモラスな書きとめ方は著者の面目躍如だろう。取材を受け入れた病院の自信もさることながら、行間に批判的精神をにじませる努力も怠っていない。
経験とは、他者との遭遇によって自我が危機にさらされることだとすれば、関川夏央はまさにそのようなしかたで病院世界を経験した。そして「よい病院とはなにか」という問いはそのまま「よい患者とはなにか」「どう生きたらよく死ねるか」という強烈な問いとなって読者にはね返る。
喚起力のある本である。
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