書評

『クッキングパパ』(講談社)

  • 2022/01/09
クッキングパパ / うえやま とち
クッキングパパ
  • 著者:うえやま とち
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(351ページ)
  • ISBN-10:4062603438
  • ISBN-13:978-4062603430

パパの料理

働く母親同士、顔を合わすと、「どう、お宅のダンナ、家事やってる?」が挨拶がわり。「カレーくらい作るけど、洗濯はちっとも」「運動会の弁当はまかしとけ、といって何するのかと思ったら〈ローソン〉のおにぎり買ってきた」「留守中に食器棚を居間に動かして、台所がスッキリしたでしょ、だって」……。

調査によるとゼンコク的に夫の一日の家事時間は六分(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1992年頃)。もちろん二時間半やる夫と全然やらない夫と均らしてしまうとこうなるらしいが、うーむ、なかなかリアリティのある数字。六分じゃ布団上げとゴミ出しね。

そこへ先日、超多忙の女性都市計画家から、「うちは『クッキングパパ』(うえやまとち、講談社モーニングKC)ってマンガ全巻揃えたらね、ダンナと娘でそれをみてやってるよ」と教えてもらった。早速、読んでみたが周辺にきくと、このマンガ、働く母親たちのひそかな愛読書だということです。

主人公は九州博多の商社金丸産業の営業主任荒岩一味、妻は地方新聞の文化記者虹子、一人息子の小学校二年生の誠がいる。設定が地方の非エリート勤労市民で、アパート住いというのがいいじゃない。この荒岩さん、よくやる。五時になるとすくっと立ち上り、一人息子の誠クンの待つアパートに帰り、エプロンかけて太い腕で「ザ・イタリアン鍋」などささっと作り、お風呂に入れ、湯上りにゲームの相手をしてやる。そこへ妻が帰ってくるとバトンタッチしてバイクで帰社、深夜サラサラと報告書を書くという毎日。

これがナヨッとした美青年なら、よくある女高男低タイプ(デパートで妻が買物三昧の間、ベビールームで赤ン坊を見ている夫)で共感を呼ばないというか、むしろ読者の同情が夫に集まるってもの。ところが荒岩さんはガッシリして柔道でもやりそうなマッチョっぽい男なのに、意外にも気がやさしくて料理や育児が趣味というのが、人気の秘密だろう。

片や妻の虹子さんも美人ではない。ど近眼の仕事人間で、そそっかしく、飲んベエで家事はまるでダメ。夕飯ができ上る「絶好のタイミング」に帰ってくる。いいなあ、これで愛されてるなんて。

荒岩さんのセリフが泣かせる。出がけに誠の熱を気にする虹子に「オイ時間が無いんだろ、行けよオレが面倒みとくから」。日曜に働く母親への不満をもらす誠に「しょうがないさ、急に仕事ができちゃったんだから」と父子で大掃除をしてご馳走づくり。娘の遅い帰宅に怒る義父には「我が家はこれがいま一番いいかたちなんです」。いってくれるじゃありませんか。

で、私の一番好きなシーンは、家事が一段落して荒岩さんと誠クンがお風呂に入るところ。父の広い胸をみながら湯舟にもぐったり、水鉄砲をしたり、髪を洗ってもらったり。ゆったりいい気分が、画面から漂ってくる。

とはいえ、この漫画、「ウッソー」と思うところもないではない。

たとえばなぜ、荒岩さんは会社で料理が上手なことを隠すのか。その結果、自作の豪華弁当も常務に「君は幸せ者じゃのーっ。いつもこんなうまい料理が食えて」と愛妻弁当だと思われてしまう。「うちのやつなんざまったくダメでなーっ」。これではちっとも世の中変わらぬではないか。まっ、隠していることがストーリー展開を面白くしているのだが。

一方、妻の虹子はどうしてロクに家事をしようとせず、上手にもならないのか。これでは性別役割分業を逆に固定化することになってしまう。

さらに、荒岩さんは部下を「こんないいかげんな企画が通るかバータレイッ」と怒鳴る仕事の鬼でもある。マンガだからうまくいくけど、実生活では、仕事も家庭もパーフェクトをめざしたら、過労で倒れた「スーパーウーマン」の男版になるだけだろう。

それにしても会社とアパートがバイクで五分の地方都市だから可能な話なのだ。日曜には車をちょっと走らせれば海釣りも山菜採りもできる。リッチではなくウェルスという意味で、東京圏より地方都市の共働きの方がずっと豊かかもしれない。

マンガにこんなにムキになるとは、私も相当、荒岩ファンになったみたい。ところで、毎回、登場する料理の作り方が載っているが、これがなかなか、作り方が簡単明瞭でうまい。「イカの塩辛」もマンガにそそられて手作りするようになった。「雪見鍋」「アッサリ雑炊」「コンビーフとキャベツ鍋」なんてうちのメニューに入ってしまった。「いためたらドバッと水を入れ、強火でガンガン煮る」。こういう表現を従来の栄養大学流料理書はもっと学んでほしい。味の表現だって「もーっ最高」「メチャウマ」。これで十分だ。

そんなわけで、おおいに博多に興味をもったところ、仕事で行くチャンスがあった。泊まったのは「イル・パラッツォ」という超モダンな高級ホテル、なのに夕食はなぜか雨の中、屋台のトン骨ラーメンということにあいなった。麺が空を飛び、太刀魚をアイスボックスの上でバンバン切って焼く。これぞ『クッキングパパ』の豪快な世界。「で、お水は? どこに水道の栓があるの」と聞いたら、「そこ」と包丁の先で示されたのは戸外のポリバケツ。雨がザンザン入る。さては雨水利用ラーメンであったのか。もーっ最高!

【この書評が収録されている書籍】
読書休日 / 森 まゆみ
読書休日
  • 著者:森 まゆみ
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(285ページ)
  • 発売日:1994-02-01
  • ISBN-10:4794961596
  • ISBN-13:978-4794961594
内容紹介:
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、… もっと読む
電話帳でも古新聞でも、活字ならなんでもいい。読む、書く、雑誌をつくる、と活字を愛してやまない森さんが、本をめぐる豊かな世界を語った。幼い日に心を揺さぶられた『フランダースの犬』、『ゲーテ恋愛詩集』、そして幸田文『台所のおと』まで。地域・メディア・文学・子ども・ライフスタイル―多彩なジャンルの愛読書の中から、とりわけすぐれた百冊余をおすすめする。胸おどる読書案内。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

クッキングパパ / うえやま とち
クッキングパパ
  • 著者:うえやま とち
  • 出版社:講談社
  • 装丁:文庫(351ページ)
  • ISBN-10:4062603438
  • ISBN-13:978-4062603430

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よむ 1991年4月~1993年10月

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