書評

『日本への遺言―福田恒存語録』(文藝春秋)

  • 2022/06/20
日本への遺言―福田恒存語録 / 福田 恒存
日本への遺言―福田恒存語録
  • 著者:福田 恒存
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(382ページ)
  • 発売日:1998-04-01
  • ISBN-10:4167258056
  • ISBN-13:978-4167258054
内容紹介:
かまびすしい流行言論に与することなく、事物の本質にじかに迫る透徹した知性で、戦後日本に孤独な問いかけをつづけてきた福田恒存。近代化、新憲法、民主主義、平和運動、進歩主義など、戦後文化の根幹にかかわる諸問題への論考を、精選収録。かつて「反時代的」と映りながらも、今、その見事な予見と洞察で人を驚かせる氏の思想の全貌を、本書は三百余の断章に抽出・編集した。

◆「私」と「彼」の距離

このところ新聞やテレビでは、(いわゆる)ら抜き言葉をめぐる論議が取りあげられているのだが、その報道に接するたび、私は「ああ、福田恆存が生きていてくれたら……」とじれったくてたまらなくなる。

「見れる」「食べれる」という言い方は気持が悪い。テレビの街頭インタビューで人びとが「どっちでもいいんじゃないすか。通じりゃあ」と言うのはいいが、作家あるいは評論家という肩書の人が同じことを言うのには呆れてしまう。

そういう方たちには『日本への遺言 福田恆存語録』(文藝春秋)の「見れる」という章(一〇六ページです)を読ませて、「これにどう答えるのか」「どう反論するのか」と聞いてみたい。私もやみくもな頑固者ではないつもりだから、反論には冷静に耳を傾けるつもりである。

福田恆存はこんなふうに言っている。長くなるが、途中で切るのは惜しい文章なのでそのまま引用しよう。

『見れる』『着れる』『起きれる』といふ語法を許してはいけない。その理由は第 一に、音が穢い。およそ美に関するものはその良し悪しに客観的基準が無いといふよ り、建てにくいし、建てても説明しにくい。が、この場合はある程度まで説明できる。『見れる』より『見られる』のはうが綺麗に響くのは、前者のmiとreとの間 に、後者 ではraが入るからである。その母音だけ拾つて行くと、前者はi・eとなり、後 者はi・a・eとなる。aは最大の広母音である。そしてiは最小の短母音である。広母音 は広大、寛闊、短母音は急激、尖鋭の感を与へる。悪く言へば、前者は間のびがし、後 者は下品になる。国語音の変化の大勢は大体において前者から後者への方向を辿つて来た。(略)
 
『見れる』は認めず、『見られる』を正しいとする第二の理由は、後者のはうが歴史が長いといふ事である。言換へれば、それが過去の慣習だといふ事である。明治以来、殊に戦後は『過去』とか『慣習』とかいふ言葉は権威を失つたが、少くとも言葉に関するかぎり、これを基準としなければ、他に何も拠り処は無くなつてしまふのである。全く通じさへすればよろしいといふ事になる。が、『通じても相手は心の中で笑つてゐますよ』と言はれ、その嘲笑を避けようとする殊勝な心掛けも、教育も、言語観も、今は地を払つてどこにも見出せない。(「日本語は病んでゐないか」)

完璧じゃあないか? 私の頭の中のモヤモヤをこんなにも明晰に論理的に説明してくれるなんて。ありがたさに涙こぼれる、というものだ。とくに「国語音の変化の大勢は大体において前者(広大、寛闊、間のび)から後者(急激、尖鋭、下品)への方向を辿つて来た」という一行、それから「言葉に関するかぎり、これ(歴史性)を基準としなければ、他に何も拠り処は無くなつてしまふのである」という一行がみごとだ。

たかだか「ら抜き言葉」一つの問題だが、ここに福田恆存の思想の輪郭というか特質は鮮かに表われていると思う。

それは、たとえはかなくとらえがたいものであっても「美感」をおおもとの根拠にしていきたいという意志と、それから文化、とくに言葉に関しては(どうせ下品方向に流れるのだから)あえて保守的態度で対抗していきたいという意志である(そもそも「見れる」「食べれる」という言葉の響きを「穢い」と感じない人、そういう「美感」抜きに文化を語ることに恐怖を持たない人にとっては、福田恆存のこの文章はほとんど何の意味もないだろう)。

私は昔、自分を「左翼」と思いたかった人間で、福田恆存は「保守反動イデオローグ」というレッテルを貼られていた人で、私にとっては長年敬遠してきた人だから、今でもそうとう警戒しながら読んでいるのである。同意できないところには△マークをつけて、「彼」と「私」の距離を明らかにして、簡単に「心酔者」にならないように注意しているのだ。

にもかかわらず、『日本への遺言』を読むと、次から次へと凄い一節に出会い、まるでうぶな学生のように、鉛筆でぐいぐいと傍線を引かずにはいられない。

その具体例を書いているとキリがないので、ここでは文筆業の私にとって、こたえる一節だけを書いてみる。たとえば――

私が非難してきた 『文化人』といふのは、世間のあらゆる現象相互の問に関係を指摘してみせるのがうまい人種のことであります。関係さへ見つければ、それで安心してしまふ。それは聴くはうも、説明さへつけば、解決されたとおもひこんでしまふ。(「平和論にたいする疑問」)

『文化人』とにらまれたからにはしかたがない。なにか発言しなくてはならぬにしても、自分にとつてもつとも切実なことにだけ口をだすといふ習慣を身につけたらどうでせうか。ほんたうにいひたいことだけをいひ、ほんたうに腹がたつことだけに怒り、大げさにいふと、これがなければ自分は生きがひなしとおもふことだけを求める――いはゆる社会の不安など、それでだいぶ落ちつきを得るのではないか。(「平和論にたいする疑問」)

言葉によつて断定する事は一つの行動である。行動すれば間違ひを犯す。間違へばその責任を取らねばならない。それを恐れる為に言葉に行動性を持たせぬ様にしてゐるだけの事なら、そこに生じる情緒、詠歎はいづれも偽りの感傷に過ぎない。(シェイクスピア劇のセリフ)

私はこういうことを書く人がこわい。そして、私はこういうことを書く人を根本のところで信頼する。「文化人」というところを「文筆業」と置きかえて、「こっぴどく叱られているなぁ」「正しく叱ってくれる人がいてありがたい」と思う。

「ら抜き言葉」批判にしても、文化人批判にしても、福田恆存の最もすぐれているところは、その「美感」――好悪の感情、だと思う。たぶん、私はそこに一番惹かれている。

【単行本】
日本への遺言―福田恒存語録 / 福田 恒存
日本への遺言―福田恒存語録
  • 著者:福田 恒存
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:ハードカバー(374ページ)
  • ISBN-10:4163500804
  • ISBN-13:978-4163500805
内容紹介:
日本はこれでいいのか。戦後文化への根本批判、人間への深い洞察-孤高の思想家が日本人に託した、言葉と知恵の宝箱。

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【この書評が収録されている書籍】
アメーバのように。私の本棚  / 中野 翠
アメーバのように。私の本棚
  • 著者:中野 翠
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(525ページ)
  • 発売日:2010-03-12
  • ISBN-10:4480426906
  • ISBN-13:978-4480426901
内容紹介:
世の中どう変わろうと、読み継がれていって欲しい本を熱く紹介。ここ20年間に書いた書評から選んだ「ベスト・オブ・中野書評」。文庫オリジナルの偏愛中野文学館。

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日本への遺言―福田恒存語録 / 福田 恒存
日本への遺言―福田恒存語録
  • 著者:福田 恒存
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(382ページ)
  • 発売日:1998-04-01
  • ISBN-10:4167258056
  • ISBN-13:978-4167258054
内容紹介:
かまびすしい流行言論に与することなく、事物の本質にじかに迫る透徹した知性で、戦後日本に孤独な問いかけをつづけてきた福田恒存。近代化、新憲法、民主主義、平和運動、進歩主義など、戦後文化の根幹にかかわる諸問題への論考を、精選収録。かつて「反時代的」と映りながらも、今、その見事な予見と洞察で人を驚かせる氏の思想の全貌を、本書は三百余の断章に抽出・編集した。

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リテレール(終刊)

リテレール(終刊) 1995年冬号

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