田植えの経験から
先月、山形の月山(がっさん)のふもとで、息子が田植えをしてきた。「もうねえ、どろが、べたーぐちゃー、ねとーってねえ、きもちわるいの! しりもちついたら、やるきがなくなったの!」
着ているものが、めちゃくちゃだったので(下着は脱いでいて、田植え用のボロTシャツをキレイなまま着ている)、「ん? どういう格好で植えたの?」と聞いても、「もう、そんなのわかんないよ~。つかれすぎて、なにがなんだか~」と、ぐったりしている。やる気がなくなったわりには、精一杯植えてきたようだ。
せっかく田植えを経験したのだから、と思い本棚を探すと、あった。『田んぼのいのち』。私は、この本の絵を手がけた桃子さんのファンで、個展でいくつかの作品を買ったほど。『田んぼのいのち』も、ずいぶん前から自分の本棚にある。
息子に表紙を見せると、おもしろいように反応した。
「なんか、ぐちゃぐちゃだね! うおー、葉っぱがここから水玉になってる……げいじゅつ?」
芸術って……。いつのまに、そんな言葉を覚えたのか。いやしかし、つかいかたは間違っていないぞ、とも思う。
物語はシンプルでリアル。過疎の村で、米を作りつづけている賢治さんの、四季折々の仕事が、豊かな自然とともに描かれてゆく。奥さんが病気になったり、隣人が腰を痛めたり、そういうこともある。
「……もみが白い根をだして培土(ばいど)をかみ、いっせいに白い芽を立てました」「五十年間米をつくっている賢治さんも、五十回しかつくってなくて、いつも一年生の気分です」。印象深い表現が随所にある。骨太でリアルな文章と、繊細でリアルすぎない絵との組み合わせ。読んでいると、なぜか、しーんとした気持ちになる絵本だ。
雪の場面から始まり、最後はまた大地は雪に閉ざされる。時のめぐりと命のめぐりとが、自然に心に沁みてくる。
息子は「たった一粒(つぶ)を土にまくと、秋にはおよそ百八十粒にもなるのです」で、大きく目を見開き、「米は人の命も養うし、米そのものが命なのです」というところで、口をはさんできた。
「米そのものが命って、どういう意味?」
「だから、お米も生きていて、一粒のお母さんから百八十粒の子どもが生まれて、命がつながっていくってことだよ」――答えながら、これはすごいことだなあと思う。
「お母さんなんかさ、お母さん一粒から、たくみん一粒だよ」
そう言うと、しばらく考えこんでいたが、たくみん、ぱっと明るい顔になった。
「でもさ、ためちゃんは、二粒だね!」
「ためちゃん」は、私の弟のお嫁さんだ。最近、第二子を出産した。
「そうだ、二粒だ、すごいすごい」
赤ちゃんを粒で数えて申し訳ないが、何だか嬉しい気持ちで、絵本を閉じた。
一粒の命を思う 田植えせし米の実りの便りを聞けば
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