書評
『快楽について』(岩波書店)
真の善への道を論述
かつて「コンスタンティヌスの寄進状」と呼ばれた世紀の偽書があった。8世紀に教皇庁によって偽造された文書で、ピピンの寄進やシャルルマーニュへの(西)ローマ皇帝戴冠(たいかん)などの根拠として広く悪用された。この文書を厳密な考証に基づき偽作と論じたのが15世紀の人文学者ヴァッラである。ヴァッラは、古代の原典を丁寧に渉猟することで、ユマニスム(人文主義)を根付かせた。ヴルガータ(ラテン語訳)ではなくギリシア語の聖書を、また、中世のキリスト教社会でタブー視されていたエピクロスの快楽説を復権させようとした。それが代表作『快楽について』である。文章は生き生きしており、今、読んでも全く古さを感じさせない。しかもエピクロスより激しく肉体の快楽を高揚している。パヴィーアの聖堂の柱廊で、法学者が、高潔の徳についてストア主義を讃美(さんび)する。これに対して、詩人が、女性の身体美や性的快楽の追求を肯定しエピクロス主義を讃美する(第1巻)。第2巻で詩人は、具体例を列挙して高潔が虚栄にすぎないことを実証し、快楽こそが善であると論じて全員を自邸での晩餐(ばんさん)に招待する。晩餐の後、美しい庭園でシンポシオンは大団円を迎える(第3巻)。修道士が2人の弁論を止揚して、地上の快楽よりも天国の快楽(至福)が勝ることを説く。ヴァッラは、ストア主義という道徳の番人を排して、信仰・希望・愛というキリスト教の「真の徳」によって真の善(快楽)へと近づくことを理想とした。もちろん、地上の快楽と天国の快楽は「一直線上に」ある。
15世紀のルネサンスでは最高の裸体画が花開く。ヴァッラの理論づけなくして、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」やジョルジョーネの「眠るヴィーナス」が果たして生まれただろうか。ヴァッラが至上の教会を人間の住む地上に降ろしたので、画家は存分に絵筆が揮(ふる)えたのだ。ここにルネサンスを準備した真髄の1冊がある。近藤恒一訳。
ALL REVIEWSをフォローする








































