書評

『ジョーン・ロビンソンとケインズ:最強の女性経済学者はいかにして生まれたか』(慶應義塾大学出版会)

  • 2024/02/20
ジョーン・ロビンソンとケインズ:最強の女性経済学者はいかにして生まれたか / ナヒド・アスランベイグイ,ガイ・オークス
ジョーン・ロビンソンとケインズ:最強の女性経済学者はいかにして生まれたか
  • 著者:ナヒド・アスランベイグイ,ガイ・オークス
  • 翻訳:安達貴教
  • 出版社:慶應義塾大学出版会
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2022-10-30
  • ISBN-10:4766428404
  • ISBN-13:978-4766428407
内容紹介:
・20世紀最大の女性経済学者であるジョーン・ロビンソン。・彼女がいかにしてケインズをとりまく学者たちの頂点に登りつめたか。その秘密が初めて明らかになる。20世紀を代表する女性経済学… もっと読む
・20世紀最大の女性経済学者であるジョーン・ロビンソン。
・彼女がいかにしてケインズをとりまく学者たちの頂点に登りつめたか。その秘密が初めて明らかになる。

20世紀を代表する女性経済学者、ジョーン・ロビンソンは、男性社会であるケンブリッジ大学の知識人のなかで、いかにして自らの地位を確立し、研究成果を認められたのか。ケインズをめぐる人間模様を、膨大な書簡から詳細に描き出す。ケインズ『一般理論』の形成、そして「ケインズ革命」を知る上で重要な一冊。

【目次】

プロローグ 男性経済学者たちが織りなすコラージュから浮かんでくる女性
ロビンソン夫人に乾杯!/職業的アイデンティティとアカデミックキャリアの形成/ローカル・ヒストリーの試みとミクロ的視点/本書が目指す方向性、そして注意点

第1章 理論家らしからぬキャリア
1938年 2月、ケンブリッジにおける念願達成/名声を得る/成功を収める――ケンブリッジの経済学者になるための方法(1900-30年頃)/男だけの世界/「分析的経済学者」――職業的アイデンティティの形成(1930-31年)/学界でのキャリア形成の戦略

補 説 ロビンソンとカーン
友情とキャリア形成/親しくなる二人/いつ帰国するの?/過ぎていくだけの時間、1933-37年/精神疲労で倒れる/説明と再確認/アレクサンダーの死

第2章 『不完全競争の経済学』の誕生
マーシャル・ギルド/対話としての研究/アメリカでのカーンとロビンソン/1930-33年のケンブリッジにおける業績主張/「ロビンソン時代」について補足――その家事マネージメント術と金銭状況について

第3章 ケインジアンになる
パトロンのいない被保護者/ケインズ=ハイエク論争/トランピントン・ストリート学派宣言/党派主義者/マクミラン社長の評価/ケインズへの接近を模索する/ピグーの『失業の理論』への匿名書評/貨幣理論を学習する/学内政治/『一般理論』の草稿を読む/革命的布教者/講義リスト論争/あっけのない結末――講師への就任/

エピローグ 「ジョーン・ロビンソンとは何者なのでしょうか?」
歴史叙述における二つの方法/戦略的な賢さ/印象管理術/戦略としての簡単化


2022年のエピローグ

訳者あとがき(安達 貴教)
原注
参考文献
索引

経済思想史、転換の影で「小悪魔」が暗躍

経済思想史には歴代の経済学者が名を連ねているが、では何をきっかけとして主軸理論は覆り、新理論にとって代わられるのか。

ケインズ理論の場合、長い好況に浮かれるアメリカを襲った大恐慌の後に登場し、一世を風靡した。転換点は恐慌やインフレといった経済現象がもたらしたかに見える。

けれども提唱者の人柄や側近による宣伝も見逃せない。本書は一介の教員夫人であったJ・ロビンソン(1903~1983年)が国際的な名声を得てJ・M・ケインズ(1883~1946年)の側近に成り上がるまでを、膨大な書簡で描く伝記である。標的を狙って外さない巧みなキャリア形成戦略が私信で明かされ、聖女のごとく称えられてきた女性の素顔が露わになる。

驚くのは、ロビンソンが登場してからの年月の短さである。彼女は1930年にはケンブリッジ大学の新任教員オースティンの妻でしかなかった。それが経済学の勉強を本格的に始めると3年後には歴史的名著『不完全競争の経済学』を出版、ケインズが『一般理論』をまとめるに当たってはコメントする役割を摑み取り、翌1937年にはその解説書と入門書を続けて出版、「ケインズ革命」を演出している。

ケインズは「この世で一番むずかしいのは新しい考えを受け入れることではなく、古い考えを忘れることだ」(『雇用・利子および貨幣の一般理論』1936年)と語った。なるほどケインズの前著『貨幣論』(1930年)を完膚なきまでにやりこめたF・A・ハイエクの元からは、若手学者たちが「新しい考え」へと雪崩を打って逃散した。

しかしケインズは、ケンブリッジ大学における同僚の「古典派」経済学者たちを説得するには至らなかった。兄弟子のA・C・ピグーからは雑誌書評で痛烈に批判されたし、ピグーの弟子でかつては思いやり溢れる聞き手だったD・ロバートソンはロンドン大学へと去っていった。側近となったロビンソンの攻撃性と熱狂ぶりにいたたまれなくなったのだ。平穏な男性社会が突如現れた猛女によりかき乱されるさまが、精緻に描き出されている。

1920年代のケンブリッジは性差別的な学問環境にあり、女子学生は学位を取得できず、事務職まで女性を排除するイギリス唯一の大学だった。教員は大学内のカレッジに住み込み、談話室で個人指導し、お気に入りの学生に声をかけて週末の朝食やアフタヌーン・ティー、遠足にまで誘い出して、討議し続ける同性愛的な気風があった。その中で、立場は批判しても人物は批判しないというリベラルな人間関係が培われた。そこに乗り込んできたのが「小悪魔」で「極悪非道」なロビンソンだった。

彼女は1930年当時、学生に経済学を教える私設教師だった。ところがP・スラッファの講義を聴講して「不完全競争」に未開拓の領域があると知り、夫のオースティン、ケインズの愛弟子R・カーンと3人の勉強会を開始する。カーンの部屋で2人でも会い、数学の手ほどきや未公刊のアイデアをもらい受け、「向こう見ずな情事」にまで突き進む。「僕は君のためなら何でもする」と口走る二つ下の男を手玉に取り、やがて単独で渡米したカーンは、刊行直前だったロビンソンの『不完全競争の経済学』をハーバード大学でJ・A・シュンペーターに絶賛させている。また類似したテーマで先に『独占的競争の理論』を出版していたE・チェンバリンからは、討論会で「限界収入曲線」につき理解していない趣旨の発言を引き出して、業績の優先権はロビンソンにあることを立証してみせた。さながら忠犬である。

さらにロビンソンは不完全競争の理論には興味を見せなかったケインズに狙いを移すと、『貨幣論』を精読、カーンに仲介を依頼して接近を図った。1935年にケンブリッジ大学の常勤の助講師に採用されると、『一般理論』の貨幣理論を自分が講じることを教授会に提案する。対立する古典派のロバートソンも貨幣理論を受け持っており、二つの授業を行き来する学生の手前もあって、内心では荒唐無稽と感じていたケインズの「新しい考え」につき旗幟を鮮明にするよう追い詰められた。見解の違いではたもとを分かたないという学術共同体の結びつきが、「態度の悪い一人の女性の過剰な野望」に引き裂かれたのである。

ロビンソンの戦略は『一般理論』を教科書的「真理」とみなし、経済理論を知らない若い世代に刷り込むことであった。結果は功を奏し、ケインズはロビンソンを腹心として重用していく。出版後、ケインズ革命は世界に拡がっていった。

ただしケインズが心までも許したわけではない。激論しながらも仲が良かったハイエクは、回想記『ハイエク、ハイエクを語る』(名古屋大学出版会)でこう語っている。

「私が、ロビンソン夫人とカーンが通貨政策について研究していたことに話を向けると、彼は噴き出して言ったのです。『あの二人はただのバカ』だよ」、と。ケインズは対立を煽る側近よりも論敵を愛する生粋のケンブリッジ人であった。
ジョーン・ロビンソンとケインズ:最強の女性経済学者はいかにして生まれたか / ナヒド・アスランベイグイ,ガイ・オークス
ジョーン・ロビンソンとケインズ:最強の女性経済学者はいかにして生まれたか
  • 著者:ナヒド・アスランベイグイ,ガイ・オークス
  • 翻訳:安達貴教
  • 出版社:慶應義塾大学出版会
  • 装丁:単行本(416ページ)
  • 発売日:2022-10-30
  • ISBN-10:4766428404
  • ISBN-13:978-4766428407
内容紹介:
・20世紀最大の女性経済学者であるジョーン・ロビンソン。・彼女がいかにしてケインズをとりまく学者たちの頂点に登りつめたか。その秘密が初めて明らかになる。20世紀を代表する女性経済学… もっと読む
・20世紀最大の女性経済学者であるジョーン・ロビンソン。
・彼女がいかにしてケインズをとりまく学者たちの頂点に登りつめたか。その秘密が初めて明らかになる。

20世紀を代表する女性経済学者、ジョーン・ロビンソンは、男性社会であるケンブリッジ大学の知識人のなかで、いかにして自らの地位を確立し、研究成果を認められたのか。ケインズをめぐる人間模様を、膨大な書簡から詳細に描き出す。ケインズ『一般理論』の形成、そして「ケインズ革命」を知る上で重要な一冊。

【目次】

プロローグ 男性経済学者たちが織りなすコラージュから浮かんでくる女性
ロビンソン夫人に乾杯!/職業的アイデンティティとアカデミックキャリアの形成/ローカル・ヒストリーの試みとミクロ的視点/本書が目指す方向性、そして注意点

第1章 理論家らしからぬキャリア
1938年 2月、ケンブリッジにおける念願達成/名声を得る/成功を収める――ケンブリッジの経済学者になるための方法(1900-30年頃)/男だけの世界/「分析的経済学者」――職業的アイデンティティの形成(1930-31年)/学界でのキャリア形成の戦略

補 説 ロビンソンとカーン
友情とキャリア形成/親しくなる二人/いつ帰国するの?/過ぎていくだけの時間、1933-37年/精神疲労で倒れる/説明と再確認/アレクサンダーの死

第2章 『不完全競争の経済学』の誕生
マーシャル・ギルド/対話としての研究/アメリカでのカーンとロビンソン/1930-33年のケンブリッジにおける業績主張/「ロビンソン時代」について補足――その家事マネージメント術と金銭状況について

第3章 ケインジアンになる
パトロンのいない被保護者/ケインズ=ハイエク論争/トランピントン・ストリート学派宣言/党派主義者/マクミラン社長の評価/ケインズへの接近を模索する/ピグーの『失業の理論』への匿名書評/貨幣理論を学習する/学内政治/『一般理論』の草稿を読む/革命的布教者/講義リスト論争/あっけのない結末――講師への就任/

エピローグ 「ジョーン・ロビンソンとは何者なのでしょうか?」
歴史叙述における二つの方法/戦略的な賢さ/印象管理術/戦略としての簡単化


2022年のエピローグ

訳者あとがき(安達 貴教)
原注
参考文献
索引

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年3月18日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
松原 隆一郎の書評/解説/選評
ページトップへ