だから、この日本に私小説作家という職業が存在すること(存在したこと?)自体、私にとっては驚異である。謎である。私小説なんて、聞いただけでゾッとする。何だか、ちょっと手のこんだ身の上話じゃないか。自分の身の上のことで私は十分に苦労している。このうえ、ひとの身の上話につきあうのはまっぴら。現実(=私生活)のことは現実の中で現実的に処理してほしい。現実処理能力のなさを文学で埋め合わせようという、その心根が、ああ、いやしい。
というわけで、いわゆる私小説的な作品は頭から拒絶して来た。
しかし、今回、近松秋江『黒髪』を、「ポストモダンにはあきた」という某編集者にすすめられて読んで、少し考えが変わった。ハッキリ言って、面白かったのだ。何だかわからないヘンな力に引っ張られてぐんぐん読み進んでしまったのだ。意外だった。
『黒髪』が書かれたのは大正十一年というから関東大震災の直前のことである。主人公の男は東京に仕事を持っているのだが、京都の遊女に夢中になり、執拗に追いかけ回す。その追跡ぶりを「黒髪」「狂乱」「霜凍る宵」の三編にくどくどくどくど書き連ねている。
この男が遊女とその老獪(ろうかい)な母親に手玉にとられ、金品を巻きあげられているのだということは、どんな純朴な読者だって数ページ読んだだけでわかるのだが、主人公の男だけはいつまでたっても気がつかない。じれったいやら、おかしいやら。
一番笑ったのは「霜凍る宵」の、男が、ゆくえをくらましていた女の居所をついにつきとめて、忍び込むシーンである。一月から二月にかけての寒い最中に民家の出入口にずうっと張り込んでいるだけでも狂気の沙汰、ほとんど痴漢というものだが、この男は、いっこうにめげない。
入口の左手が一間の櫺子窓(れんじまど)になつてゐて、自由に手の入るだけの荒い出格子の奥に硝子戸が立つてゐて、下の方だけ擦り硝子をはめてある。そこから、手を挿入れて、試みにそつとその硝子戸を押してみると五六寸何の事もなくずうつと開きかけたが、ふつとそれから先戸が動かなくなつたのが、どうやら誰か内側からそれを押へてゐるらしく思はれたので、此度(こんど)は二枚立つてゐる硝子戸の左手の方を反対に右手に引かうとすると、それも亦抑へたらしく開かない……。
ようするに、内がわから女が懸命にガラス戸を押さえて、拒絶しているのだ。思いっきり厭がっているのだ。マンガとしか思えない。
ここまで露骨に拒絶されてもなお、わが主人公は気がつかない。傷つかない。その鈍感さは感動的なほどである。いったいどこまでだまされれば気がすむのか――という妙な興味に引きずられて、ぐんぐん読み進んでしまう。
私はかねがね「昼メロとラジオの人生相談の面白さは、愚かさの力というものだ。誰もが“あの人に較べれば私のほうがものがわかっている ”と思える。そういう形で優越感と批評欲を満足させてくれるのだ。昼メロのヒロインと人生相談の当事者は、じれったいくらい愚かしくなくてはいけないのだ」と思っていたが、この『黒髪』の男は、その構造にぴったりとはまっている。
しかし、『黒髪』があなどれないのは、そういう愚かしい男の姿や周辺人物(とくに遊女の母親)や京の風物や自然などが、なかなか品格のある文章で、正確詳細に描写されているところだ。近松という筆名を使っているくらい江戸時代の軟派文学にかんする教養も憧れも深いらしく、文章も巧いのだが、しかしそれに足をすくわれ安易に自分を美化したりはしていない。自分の愚かしさや醜さをまったくそのまんま投げ出している。態度としてはかんべきにリアルである。
軟派系といえば「洒脱」方向におさまるものなのに、この人にはまったくそういうところがなく、終始かっこ悪いままである(しかし、はたして作者がどこまで自分を「かっこ悪い」と認識していたかは疑問である)。
というわけで、私の最大の疑問は、この人はいったいいかなる情熱にとりつかれて、この小説を書いたのかということである。西欧キリスト教文化圏にありがちな「告白」とか「ざんげ」の衝動とは全然思えないし、女にたいする私怨とも見えないし、自己陶酔の匂いもない。
奇妙な小説。奇妙な作家。ひとくちに私小説と言って無視してしまうと、こんな“ひろいもの”を見逃してしまう。
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