書評

『「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ』(講談社)

  • 2022/06/24
「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ / 金井 美恵子
「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ
  • 著者:金井 美恵子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(365ページ)
  • 発売日:2003-11-01
  • ISBN-10:4062120771
  • ISBN-13:978-4062120777
内容紹介:
辛辣なユーモアと深い愛をこめて、小説、映画、日常の細部を語る過激な豊かさと魅惑にみちた世界へようこそ。『ユリイカ』等掲載をまとめたエッセイ集。
昨年暮れ、初対面の某有名批評家に「あなたは色んな雑誌で書評を書いてるけどさ、今の日本に紹介に値するようないい小説があると思ってるわけ?」と訊かれたので、「あります」と答えると、その七〇年安保世代オヤジは、せせら笑ったことではありました(ALLREVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2004年)。「ないよ。あると思ってるのは、あなたが小説を読めてない証拠だな」。自分に小説を読む能力があるかないかはよくわかりません。だから腹も立ちません。それより、看過できないのはこんな言葉です。「僕は小説に愛なんて抱いてないから。愛で書かれた批評なんて頭が悪すぎるよ」。頭のよい、しかし心に愛のかけらも抱けない男が、具体的な作家名や作品名を挙げては、「これはダメ」「あれもクソ」とこきおろす。圧巻の醜さではありました。

その醜悪な時間を忘れるために、わたしは金井美恵子の最新エッセイ集を開きます。なぜならそこには、愛に溢れながら、同時に某有名批評家では及びもつかない知性を具(そな)えた言葉があるからです。愛ゆえの厳しい批判や辛辣な皮肉があるからです。

たとえば金井さんは、石井桃子という児童文学の最良の紹介者を〈忘却と記憶の現前というおそらくは文学史上の特記されるべき主題を、おだやかでつつましい日常生活の濃密な細部を通して語る〉作家と定義し、石井桃子的世界に息づく〈「お話」を聞くことと読むこと〉の愉悦を愛情溢れる筆致で明らかにします。

たとえば金井さんは、〈ゴダールの映画は世界で一万人にしか見られていない〉と発言した若い批評家を、〈これはあきらかに間違っているのみならず、世界で一万人という信じ難い稀少さによってゴダールの映画を見る者を特権化して、映画とゴダールを引き離そうとする、いやしい試みといわなくてはなるまい〉とたしなめることで、ゴダールを少数のインテリの手から映画を愛する人たちの手に取り戻してくれます。

そしてわたしは、青山真治という才能を励まし、返す刀で文芸ジャーナリズムをなで斬る優雅な悪意が粋な表題エッセイを読んで、自分が小説に対して抱く尽きせぬ愛情が、何から生まれるかがわかったような気がしたのでした。

青山真治と中原昌也が同時受賞した三島賞授賞式でのこと。齋藤孝が〈言葉と身体の重要な関係について、姿勢を正して「丹田(たんでん)」に力をこめて発声するとかなんとかマイクで語っていた時〉、青山・中原両氏が「うんちんぐ座り」でタバコを吸っていた、と。その態度を指して金井さんはこう結んでいます。〈これは正しいスタイルです。なぁーにが、「丹田」だっての〉。

齋藤孝とは『声に出して読みたい日本語』の著者。でも、個人的営為である読書に一番ふさわしいのは、やはり黙読だとわたしは思っています。ぐっとくる一文に出合った時はじめて、人は思わず声に出して読んでしまうのです。喉仏(のどぼとけ)がひきつるような感覚を伴って生まれる“思わず”という衝動。お話を聞いたり読んだりする中で、突然訪れるそうした衝動の積み重ねが小説への愛を育んだのだと、わたしはこのエッセイを読んで自覚したのでした。

この中には金井さん自身の“思わず”が詰まっていて、それが読む者の“思わず”を引き出してくれます。芸の域に達しているまっとうな毒舌あり、敬愛する人物や作品に向ける柔らかな愛情あり、真摯だからこそ辛口にならざるを得ない小説観あり、知的だったりお茶目だったり色んな味わいのユーモアありと、どのページを繰っても思わず笑ったり、うなずいたり、襟を正したりと、様々な読み心地が味わえ、思わず小説を読んだり映画を観たくなる。そんな沢山の歓びと出合える一冊なのです。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ / 金井 美恵子
「競争相手は馬鹿ばかり」の世界へようこそ
  • 著者:金井 美恵子
  • 出版社:講談社
  • 装丁:単行本(365ページ)
  • 発売日:2003-11-01
  • ISBN-10:4062120771
  • ISBN-13:978-4062120777
内容紹介:
辛辣なユーモアと深い愛をこめて、小説、映画、日常の細部を語る過激な豊かさと魅惑にみちた世界へようこそ。『ユリイカ』等掲載をまとめたエッセイ集。

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初出メディア

PHPカラット(終刊)

PHPカラット(終刊) 2004年4月号

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