書評
『ウェルカム・ホーム!』(新潮社)
「フツー、とかさ。ちゃんとしてる、とかさ」「そういうの、もういいじゃん。誰もフツーじゃないし、誰もフツーじゃないんだから、逆にみんながフツーなんだよ」。妻を亡くした大学時代の親友・英弘の家に同居し、家事の一切を担当するかたわら、彼の息子・憲弘を育て上げてきた毅はそう言いきります。
「男とか女とか、そういうことカンケイない時代だと思いますよ、俺」「自分が向いてない分野のことは、向いてるヒトに任せる。その代わり、自分は自分が向いてる分野で役に立つ。それでいいんじゃないっすかね」。ハンバーグを作ろうとしたのに、単なる味のないひき肉炒めになってしまって、落ち込む毅の恋人・美佳子に英弘は、軽やかに言い放ちます。
「不安なわけよ、おまえ以外の人間にノリ預けんのは」。一向に再婚しようとしない英弘は、その理由を問う毅にぶっきらぼうだけど気持ちのこもった言葉を返します。
そして、小学六年生の憲弘は、こんな作文を書くのです。
「僕にもいつか弟か妹ができるのではないか、と僕は想像している。タケパパも僕のお父さんだから、タケパパの子供は、僕の兄弟になるからだ。弟や妹ができたときには、きっと一緒には住めないと思う。でも、一緒に住んでいなくても家族だと僕は思う」
泣いた、泣かされました、鷺沢萠の『ウェルカム・ホーム!』には。いや、全然お涙頂戴じゃないんです。むしろ、その逆。明るくて、前向きで、ユーモアに溢れてて――。先に引用したのは、一家のシュフをしている毅を通じて、男の沽券やフツーといった、わたしたちの人生を窮屈にしている“常識”を軽やかに飛び越えてみせる「渡辺毅のウェルカム・ホーム」からなんだけど、バリバリのキャリアウーマンにして、二度の離婚歴がある四十代女性を主人公にした「児島律子のウェルカム・ホーム」のほうもいいんですよー。
最初の結婚は二十一歳の時。短大を出た律子は大手証券会社に就職し、外務員試験に通って営業ウーマンになり、顧客として出会った十六歳年上の平岡と、世に言うマスオさん結婚をするのですが、古いタイプの男である平岡は仕事が楽しくてならない律子を疎(うと)み、外に女を作ってしまいます。で、浮気相手が妊娠したのをきっかけに離婚。ま、ここまではよくある話で、読んでいても特に何の感興も覚えないんですが、肝心なのはここから。
離婚を機にアメリカに渡った律子は、さらにキャリアアップしていきます。そして六年後に帰国。日本はバブルのまっただ中です。律子は専業主婦となっている短大の同級生たちが開いてくれたミニ同窓会に出席して、彼女たちの常軌を逸した贅沢ぶりに接し腰を抜かします。つまり、作者の鷺沢さんは昭和三十年代に生まれた女性を主人公にすることで、バブル前夜~バブル~平成大不況という日本の二十数年、その時代精神を描こうともしているのです。
その後、律子は二度目の結婚と離婚を経験します。そして、その相手には聖奈という幼い娘がいて――。後は何も申しますまい。二十数年間を律子と共に駆け抜けた読者を待ち受けているラストシーンの、心が震えるような感動といったら! 号泣必至。電車の中で読んだら超危険です。
家族を家族たらしめるのは血のつながりじゃない、大切なのは柔らかで温かい心なんだということが伝わる、これは素晴らしい家族小説集です。鷺沢さんは編集者に「今後も血縁関係に縛られない拡大家族の話をたくさん書いていきたい」と意気込みを語っていたそうです。その矢先の早すぎる死。優しい小説を遺して逝(い)ってしまった作家の心中を知ることはできません。ただ、読んでください。そして、惜しんでください。鷺沢萠という作家の“生”こそを。
【この書評が収録されている書籍】
「男とか女とか、そういうことカンケイない時代だと思いますよ、俺」「自分が向いてない分野のことは、向いてるヒトに任せる。その代わり、自分は自分が向いてる分野で役に立つ。それでいいんじゃないっすかね」。ハンバーグを作ろうとしたのに、単なる味のないひき肉炒めになってしまって、落ち込む毅の恋人・美佳子に英弘は、軽やかに言い放ちます。
「不安なわけよ、おまえ以外の人間にノリ預けんのは」。一向に再婚しようとしない英弘は、その理由を問う毅にぶっきらぼうだけど気持ちのこもった言葉を返します。
そして、小学六年生の憲弘は、こんな作文を書くのです。
「僕にもいつか弟か妹ができるのではないか、と僕は想像している。タケパパも僕のお父さんだから、タケパパの子供は、僕の兄弟になるからだ。弟や妹ができたときには、きっと一緒には住めないと思う。でも、一緒に住んでいなくても家族だと僕は思う」
泣いた、泣かされました、鷺沢萠の『ウェルカム・ホーム!』には。いや、全然お涙頂戴じゃないんです。むしろ、その逆。明るくて、前向きで、ユーモアに溢れてて――。先に引用したのは、一家のシュフをしている毅を通じて、男の沽券やフツーといった、わたしたちの人生を窮屈にしている“常識”を軽やかに飛び越えてみせる「渡辺毅のウェルカム・ホーム」からなんだけど、バリバリのキャリアウーマンにして、二度の離婚歴がある四十代女性を主人公にした「児島律子のウェルカム・ホーム」のほうもいいんですよー。
最初の結婚は二十一歳の時。短大を出た律子は大手証券会社に就職し、外務員試験に通って営業ウーマンになり、顧客として出会った十六歳年上の平岡と、世に言うマスオさん結婚をするのですが、古いタイプの男である平岡は仕事が楽しくてならない律子を疎(うと)み、外に女を作ってしまいます。で、浮気相手が妊娠したのをきっかけに離婚。ま、ここまではよくある話で、読んでいても特に何の感興も覚えないんですが、肝心なのはここから。
離婚を機にアメリカに渡った律子は、さらにキャリアアップしていきます。そして六年後に帰国。日本はバブルのまっただ中です。律子は専業主婦となっている短大の同級生たちが開いてくれたミニ同窓会に出席して、彼女たちの常軌を逸した贅沢ぶりに接し腰を抜かします。つまり、作者の鷺沢さんは昭和三十年代に生まれた女性を主人公にすることで、バブル前夜~バブル~平成大不況という日本の二十数年、その時代精神を描こうともしているのです。
その後、律子は二度目の結婚と離婚を経験します。そして、その相手には聖奈という幼い娘がいて――。後は何も申しますまい。二十数年間を律子と共に駆け抜けた読者を待ち受けているラストシーンの、心が震えるような感動といったら! 号泣必至。電車の中で読んだら超危険です。
家族を家族たらしめるのは血のつながりじゃない、大切なのは柔らかで温かい心なんだということが伝わる、これは素晴らしい家族小説集です。鷺沢さんは編集者に「今後も血縁関係に縛られない拡大家族の話をたくさん書いていきたい」と意気込みを語っていたそうです。その矢先の早すぎる死。優しい小説を遺して逝(い)ってしまった作家の心中を知ることはできません。ただ、読んでください。そして、惜しんでください。鷺沢萠という作家の“生”こそを。
【この書評が収録されている書籍】
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