書評
『「オウム真理教」追跡2200日』(文藝春秋)
“殺人集団”との闘いの記録
坂本弁護士一家拉致事件から麻原教祖逮捕までの五年半にわたる殺人集団との闘いの記録である。一家が忽然と姿を消したのは一九八九年十一月三日の夜であった。新聞は「失踪」と報じたが、坂本弁護士と面識のあった著者は咄嗟にオウムによる拉致事件と確信した。オウムから逃げてきた元信者によれば施設には狭い独房がいくつも並んでいたという。そんな報告も、著者はこのころすでに記録している。また事件後の十一月二十一日、麻原教祖をはじめ教団幹部が成田から“逃亡”、三十日にボンで弁明の記者会見をする。教祖が出演するコンサートが東京で二十一日と二十七日に開かれる予定だったから余程あわてていたのだ。彼らは隙だらけでもあった。今日のようにオウムの犯行が次々に明るみに出てみれば、弁護士一家拉致事件も納得しやすいが、あのころは著者や坂本弁護士の仲間たち、ごく少数の人びとがそう信じていたにすぎない。警察の捜査も消極的で富士宮の富士山総本部周辺の聞き込みもほとんどやらなかった。現場にプルシャ(オウムのバッジ)が落ちていたのは何者かが自分たちを陥れるため、と宣伝するオウムの主張にまんまとのせられたテレビ番組もあった。
本書を学者や評論家らのオウムをめぐる言説と較べてほしい。一種の戦争責任論と似てくるが、知らなかったではすまない。学者たちは、ひとつひとつの事実の積み重ねの上に仮説を立てることをせず、オウムの実態に迫らず、教学を解釈し、世代論をもてあそんだ。犯罪集団オウムが仕掛けた巧妙なメディア戦略にのせられ彼らを権威づけ、あらたな被害者を生み出したのである。未だにオウムを文化論で語るインテリが少なくないが、間違いである(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1995年)。
著者はマスコミの片隅で、無視されても無視されても執拗にリポートを積み重ねてきた。最近、お手軽エッセイや体験手記を書けば雑誌に載せてもらえる、と考えるマスコミ志望者が増えているが、そんなものじゃないよ、と著者の代わりに言っておこう。