自著解説

『水洗トイレは古代にもあった〈新装版〉: トイレ考古学入門』(吉川弘文館)

  • 2020/04/01
水洗トイレは古代にもあった〈新装版〉: トイレ考古学入門 / 黒崎 直
水洗トイレは古代にもあった〈新装版〉: トイレ考古学入門
  • 著者:黒崎 直
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(247ページ)
  • 発売日:2020-02-21
  • ISBN-10:4642083804
  • ISBN-13:978-4642083805
内容紹介:
古来、人々はどのようにウンチを処理していたのか。縄文時代の貝塚から出土する糞石をはじめ、発掘成果と文献・絵画をもとに、藤原京・平城京・長岡京・平安京などの宮都や、各地に残る遺跡をめぐり、天皇・貴族・戦国武将まで、各時代のトイレ事情を解き明かす。なおざりにされてきた排泄の歴史を科学する「トイレの考古学」。注目作を新装復刊!

トイレ考古学 扉ひらく ―全国の遺構をまたにかけ、排泄の文化史を洗い出す―

今も昔も人は皆、排泄(はいせつ)をする。だから古代の遺跡にもその痕跡は必ずあるはずだ。当然、そう考えられる。しかし考古学の世界では、これが確かにトイレといえる遺構は長く見つからなかった。そんななかで私は1992年、奈良の藤原京跡の調査でトイレの存在を科学的に裏付ける本邦初の成果を上げた。今に至る「トイレ考古学」の出発点だ。
それ以前も福井の一乗谷や福岡の鴻臚館などの遺跡で、金隠しや排便の後始末に使う木ぎれ(クソベラ)といった発見から、おそらくトイレだったろうという遺構はいくつも出ていた。私が現場担当だった藤原京跡では一歩踏み込んだ。堆積(たいせき)していた土を顕微鏡などで詳しく調べたところ、便の中からしか出てこないはずの寄生虫の卵などが多数検出されたのだ。


出土品でなく土を分析


そこまでたどりつくのに様々な偶然に助けられた。まずトイレ遺構は調査範囲の端でたまたま掘り出された。発掘現場では土から水が出てくることがあり、周囲を一段低く下げて排水溝にする。その作業中に木ぎれや人間の便によくみられるウリの種が集中的に出てきた。ふとここはトイレではないかとひらめいた。
土を分析しようと思い立ち、すぐ行動に移したのが吉と出た。発掘では出土品には目が向くが、土そのものは関心から外れがち。捨ててしまえば後から調べられない。
そのとき私は当時勤めていた奈良文化財研究所(奈文研)内の埋蔵文化財センターに電話をかけて応援を依頼。環境考古学の専門家で土の分析手法に通じた松井章さんがとんできてくれた。彼は大きなバケツ2杯分もの土を持ち帰り、数日後には寄生虫の卵を見つけたとの連絡が入った。
奈文研という組織の力もあった。同じ考古学でも、それぞれ得意分野のあるスタッフがそろっている。他の研究機関との共同研究の実績もあり、電話一本で柔軟に素早くチームとして動ける。
私は大学を卒業後、69年に奈文研に入った。国が平城京跡の保存に向けた大がかりな調査を始めた5年後のことで、人員を増やしていた時期だ。はじめは平城京跡の発掘に参加し、藤原京跡の現場を経て文化庁に出向。再び藤原京跡に戻った5年後にトイレ遺構を掘り当てることになった。
藤原京跡では「土坑式トイレ」に続き「水洗式トイレ」の遺構も見つかった。93年のことだ。トイレ遺構のそばに奇妙な弧状の溝があった。道路の側溝から宅地内に引き込まれ、再び側溝へと戻っている。すでに平城京跡で水洗トイレの遺構が見つかっていたので私はピンと来た。側溝から水を引き、用を足した後は再び側溝に流していたのだろうと。土壌調査の結果でも寄生虫卵の存在が確かめられた。


国の予算もらい調査も

発掘調査では若いときはひたすら土を掘る力仕事に追われる。キャリアを積んで一度現場を離れ、余裕が出ていたのでトイレでは? という直感も生まれたのではないか。それまでも考古学関係者は少なからずトイレに関心を持っていたのに、きちんと研究が進んでいなかったのは、発掘に入ると出てくる遺物に目を奪われ、視野が狭くなってしまうせいもあったと考えられる。
いったん見つかれば話が早い。これがトイレというパターンも確立されていく。例えば長い楕円(だえん)形の穴をはじめ同様の構造を持った遺構が次々に見つかる。改めて言うまでもないが、人間の暮らしたところにトイレがあるのは当たり前なのだ。
95年から3年間は私が代表となり、科学研究費補助金(科研費)という国の予算をもらって全国的なトイレ遺構の調査もできた。どうにもうさんくさい研究という雰囲気も、そのなかで次第に解消されていった。今では古代・中世の遺跡で40~50カ所ほどは、ほぼ間違いなくトイレ跡といえるものがある。


若い研究者の“力水”に


ただ現在でも根強い反論があるのは事実。その最たるものは、私たちが見つけたのはトイレそのものではなく、排泄後の便を後で運び入れた肥だめではないかという指摘だ。たしかに百パーセント間違いないと確証はできない。それでも、ただ捨てるだけなら穴がきれいな楕円形でなくてもいいし、幅もまたがるのにちょうどよい数十㌢である必要性は薄い。結局は水掛け論になるが、私はトイレだと信じている。
長年の研究の歴史と成果は、このほど「水洗トイレは古代にもあった」(吉川弘文館)という本にまとめた。考古学は近年、自治体の財政難などでどんどん発掘予算が削られている。この本が発掘の面白さを少しでも伝え、若い研究者たちを元気づける一助になればと願っている。

[書き手] 黒崎 直(くろさき ただし・富山大学名誉教授)
水洗トイレは古代にもあった〈新装版〉: トイレ考古学入門 / 黒崎 直
水洗トイレは古代にもあった〈新装版〉: トイレ考古学入門
  • 著者:黒崎 直
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(247ページ)
  • 発売日:2020-02-21
  • ISBN-10:4642083804
  • ISBN-13:978-4642083805
内容紹介:
古来、人々はどのようにウンチを処理していたのか。縄文時代の貝塚から出土する糞石をはじめ、発掘成果と文献・絵画をもとに、藤原京・平城京・長岡京・平安京などの宮都や、各地に残る遺跡をめぐり、天皇・貴族・戦国武将まで、各時代のトイレ事情を解き明かす。なおざりにされてきた排泄の歴史を科学する「トイレの考古学」。注目作を新装復刊!

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初出メディア

日本経済新聞

日本経済新聞 2010年2月10日

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