書評

『雲』(東京創元社)

  • 2020/04/16
雲 / エリック・マコーマック
  • 著者:エリック・マコーマック
  • 翻訳:柴田 元幸
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:単行本(461ページ)
  • 発売日:2019-12-20
  • ISBN-10:448801674X
  • ISBN-13:978-4488016746
内容紹介:
書物は我々をどこに連れていってくれるのか?幻想小説とミステリとゴシック小説の魅力を併せ持つマコーマック世界を、柴田元幸訳で。

行き先不明、手さぐり旅の愉楽

どこに行くのかわからないまま旅をするような、稀有な手さぐり感のある小説で、読んでいて、それが得も言われず愉しい。気がつくとどこか深い場所にいるのだけれど重くはなく、タイトル通り、ずっと曇り空の下にいるような安心感がある。あるいは水中歩行をするような、静寂と驚異がある。

主人公が旅先で見つけた一冊の本から小説は始まる。そこには、かつてスコットランドで起きたという怪しい気象現象が綴られていて、ダンケアンという地名に惹かれた主人公(その土地に思い出があるのだ)は、真偽のほどもわからないその本について調べ始める。同時に、彼の人生がすこしずつ明かされていく。それは十分に波瀾万丈な人生なのだが、波瀾万丈という言葉が似合わないほど静かで控え目な人生でもあって、だから当然、静かに控え目に語られる。そのことの自然さと不自然さ。おもしろいのだ、ともかくこの小説において、世界はそのような場所として存在している。

原因不明の大出血で死んだ男性とか、目を抉り取る鳥とか、穴にのみこまれた町とか、キャリック疫病(「喋って喋って疲れはてるまで喋りまくり」、「息絶えるさなかにもなお、さらに数語を絞り出そうとあが」く羽目になる疫病)とか、ここには奇妙でおそろしい(と同時に好奇心をかき立てられる)エピソードがたくさんでてくる。「何らかの異常を来した芸術家と学者に特化した」刑務所とか、赤ん坊そっくりの猿を焼いてたべる人々とか、魚を舐める儀式とか、ホラーまがいのことが起こる鉱山とか、主人の心臓の一部をたべた猫とか。伝聞や伝承としてでてくる場合もあれば、主人公が実際に体験もしくは目撃する場合もあるのだが、それらのエピソードはただでてくるだけではなく、一枚の布に織り込まれるみたいに、小説世界に織り込まれている。基礎、下地、いっそ前提。不穏で、理由も結論もないという意味でつかみどころのない出来事たち――。この本の全体がそんなふうだ。作中で、主人公は自分の生まれ育った土地の人々を、「感傷癖はなくとも、その分、迷信深さはたっぷり持ち合わせていた」と回想するのだが、読み進むにつれて、その土地出身であろうとなかろうと、誰にとっても世のなかというのはこんなふうに不穏でつかみどころのない場所なのだと思えてくる。迷信と現実の区別などほんとうはつけられない、魑魅魍魎の跋扈する場所。

従って、主人公の人生に実際に起こることや、彼の出会う人々も一様に――というのはたとえば平凡なことまで――奇妙に思える。唐突な失恋、つねに結果として就く職業、スコットランドからアフリカ、南米、カナダという、彼の存在の流され方、半ばお膳立てされて妻となる女(なかなか強烈でおもしろい)や、アクロバティカルきわまりないセックスをする女、患者の鼻に興味津々の女医や、「愛というより潰瘍で結びつけられている」ように見える夫婦や――。ありふれているのか異様なのかわからない出来事の数々が、主人公を(そして読者を)あちこちへ運ぶ。

共に孤児だったという両親がとても魅力的だ。「そうだろ、ノーラ?」とか、「そうじゃないかい、ノーラ?」とか、妻に同意を求める父親の口癖や、気に入りのジョークとなった二重否定。曖昧で、確かなものなどないのが人生だとしても、子供時代の記憶だけは植物の根のように、たぶん彼を支えている。
雲 / エリック・マコーマック
  • 著者:エリック・マコーマック
  • 翻訳:柴田 元幸
  • 出版社:東京創元社
  • 装丁:単行本(461ページ)
  • 発売日:2019-12-20
  • ISBN-10:448801674X
  • ISBN-13:978-4488016746
内容紹介:
書物は我々をどこに連れていってくれるのか?幻想小説とミステリとゴシック小説の魅力を併せ持つマコーマック世界を、柴田元幸訳で。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2020年2月16日

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