書評

『お札の文化史』(NTT出版)

  • 2020/04/12
お札の文化史 / 植村 峻
お札の文化史
  • 著者:植村 峻
  • 出版社:NTT出版
  • 装丁:単行本(324ページ)
  • ISBN-10:4871883167
  • ISBN-13:978-4871883160
内容紹介:
世界各国の銀行券、政府紙幣など、お札にはその国の文化、社会、経済の歴史、現状が凝縮されている。富・欲望・権力・戦乱・偽造など、紙幣が証す人間とマネーの数奇な物語100選。

お札いろいろ

お札は紙である。原価にすれば、安いもの、一万円札でも、印刷代を含めたところで、いくらにもならないのだろう。

それをただの紙とは思わないのは、「これはお金ですよ、一万円の値うちがありますよ」

との、いわば共同幻想が成り立っていてこそだ。

幻想は、ときに破れる。

一九九一年一月のソ連がそうだった。大統領令により、五十ルーブル、百ルーブル札が突然、次の日から廃止されることになった。

ロシア人に聞いたところでは、大統領令の出された日、彼の知るだけでも三人が亡くなったという。ある老人はラジオニュースを耳にするや、言葉にならぬ叫び声を上げ、箪笥の引き出しを盛大にひっかき回して、こときれた。脳の血管が切れたのだ。引き出しには、五十ルーブル札ばかりの文字通り「箪笥預金」が詰まっていて、一瞬のうちに紙屑となったそれらが舞って、床に倒れた老人の上にはらはらと散りかかっていたそうな。

「一瞬のうちに」というのは早とちりで、大統領令には、廃止となった札は向こう三か月間に限り、他のお札に替えることができるとの但し書きがついていたが、老人はそこまで聞かず、はかなくなった。

『お札の文化史』(植村峻著・NTT出版)によると似たようなことは、世界史の上ではしばしばあったらしい。ほかでもない大蔵省印刷局に勤める著者が、古今東西、お札と人をめぐるあれこれを綴った。

お札の歴史は、紙の歴史に比べ、そう古いものではないそうだ。が、近代国家の成立後は、自国の紙幣を発行するのが、国家主権の象徴のひとつとなった。幻想を支える共同体が、国家となったわけである。

明治期の日本が、まさにそう。「国家有功顕著な者」で「人民をして愛敬心を生じさせる者」を、肖像に描く人物の基準にしたが、結果として選ばれたのは、日本武尊をはじめ写真もない者ばかり。大蔵省お雇い外国人である彫刻官を悩ませた。誰かしらをモデルにしなければならなかったせいか、百円札の藤原鎌足は、ときの大蔵大臣、松方正義にそっくりだったとか。

欧米列強に追いつけ追い越せで、世界分割に加わった日本は、占領地域で次々と、札代わりの軍票を発行していった。が、敗戦で一転、米軍の軍票を使わされるかも知れない立場となる。かろうじて円の使用が続けられたものの、肖像画ひとつも、連合軍総司令部の承認なしには決められなかった。なるほど札は、主権と深く関わっている。

本からは、日本の例をまず引いたが、よその国の話も、驚くことばかり。

一九四五年から四六年のハンガリーは、天文学的インフレに見舞われた。お札の最高額面金額は、一年間に十七桁上がり、兆、京でも足りず、「十億京札」なるものが出現した。それでも、売り買いをやめるわけにはいかない。なぜって、生活に必要な物資だから。人間は経済行為をする動物だと、改めて思う。

一九九四年ユーゴのインフレは、そのときのハンガリーを上回る勢いだったそうだ。九三年十月以降、ほぼ二週間にいっぺんの割で新札を発行、九四年に入って、十億分の一(!)のデノミを断行した。

あまりにめまぐるしく変わるのと、数える煩雑さに、人々は自国紙幣に見切りをつけ、ドイツマルクを使用したりしているが、国は国家としての体面にかけても、新しい札を発行し続ける構えだ。

お札は世につれ移り変る。まことに著者の言うとおり「文化、社会、経済の歴史、現状が凝縮されている」。やっぱり、ただの紙ではないのである。

お札の文化史 / 植村 峻
お札の文化史
  • 著者:植村 峻
  • 出版社:NTT出版
  • 装丁:単行本(324ページ)
  • ISBN-10:4871883167
  • ISBN-13:978-4871883160
内容紹介:
世界各国の銀行券、政府紙幣など、お札にはその国の文化、社会、経済の歴史、現状が凝縮されている。富・欲望・権力・戦乱・偽造など、紙幣が証す人間とマネーの数奇な物語100選。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。



【この書評が収録されている書籍】
本棚からボタ餅  / 岸本 葉子
本棚からボタ餅
  • 著者:岸本 葉子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(253ページ)
  • 発売日:2004-01-01
  • ISBN-10:4122043220
  • ISBN-13:978-4122043220
内容紹介:
本の作者が意図していない所に「へーえ」、テーマにピンとこなくたって「なるほど」と感じたことはありませんか?思いつきで読んでみても得るモノはあるはず。恋に悩む時、仕事に行き詰まった時…偶々、解決のヒントを発見できたら大きなご褒美です。寝転ろんで頁をめくりながら「おまけがついてこないかな」と自然体?で構えてみませんか。

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お札の文化史 / 植村 峻
お札の文化史
  • 著者:植村 峻
  • 出版社:NTT出版
  • 装丁:単行本(324ページ)
  • ISBN-10:4871883167
  • ISBN-13:978-4871883160
内容紹介:
世界各国の銀行券、政府紙幣など、お札にはその国の文化、社会、経済の歴史、現状が凝縮されている。富・欲望・権力・戦乱・偽造など、紙幣が証す人間とマネーの数奇な物語100選。

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初出メディア

週刊文春

週刊文春 1994年9月8日

昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

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