書評
『地図の遊び方』(筑摩書房)
地図遊びのすすめ
著者の今尾恵介氏は、地図オタクらしい。それも、よけいなことが書いていない、官製地図がいいという。中学生の頃より、国土地理院の地形図をひとりで眺めては悦に入り、やがて外国モノに手を出して、カタログで個人輸入するまでに至った。
この楽しみを皆さんにも、というのが『地図の遊び方』(けやき出版)である。著者が「あれれ、と思ったこと」「視線が吸いついたさまざまなことを、とりとめはありませんがいろいろ書いてみました」。地図遊びのすすめである。
著者によれば、日本のように税務署の記号を地図に載せている国は、世界でもめずらしいそうだ。日本の「凡例」は、お役所関係にやたら詳しい。
かたやイギリスでは、キャンプ場、ピクニック場、「見晴らしのいい場所」といった記号もあるとか。凡例ひとつにも、お国がらが現れる。
古い地名がどんどん消されていく、日本の住居表示制度についてもひとくさり。つきつめれば、当用漢字や常用漢字表にこだわる、国語政策ともからんでくる。乱開発となぜか歩調を合わせるように「ふるさと」「ふれあい」を乱発する、駅、鉄道、公共施設の名も、著者の批判の対象だ。
観光客を集めようと「高原鉄道」があちこちにでき、「にわかに高原が日本中に増えたようだ」のくだりに、うなずく読者も多いだろう。まことに一枚の地図からも、社会や文化が浮かび上がる。
けれども、この本の中心は、そうした批判にはない。何てことのないエピソードに面白さが詰まっている。
例えば「レ村」の話。スイスの十万分の一地形図を見ていた著者は、「レ」という村を発見する。「世界一短い地名ではないか」と胸がざわめく。もっと探すと、「ル村」「ロ村」も北イタリアに存在した。
「だからどうした」と言われればそれまでだ。何の実用性もない。が、せちがらい世の中、こんな役に立たないと言えば立たない発見に、心躍らせる人がいると思うと、こちらまで嬉しくなるではないか。著者自らも「こんなことで喜べるのは、究極のヒマ人というべきかもしれない」と。
本のいたるところから、地図により得られる、ささやかな感動が伝わってくる。「海岸にへばりつく小さな村々の風景が実にいいなあと感じるし、またある時には人家がまったくない山中の『等高線づくし』に喜びを覚えることもあります」「天然の蛇行をほしいままにする原始の川が彩る湿原も芸術的です」。
音楽好きの中には、譜面を見るだけで、交響曲の調べを耳の奥に聞ける人がいるが、この著者は、等高線や記号の並びで、風景をありありと思い描けるのだろう。瞼の裏には、ひとりの人が一生のうちに目にすることができる土地の何十倍、何百倍もの風景が、おさめられているに違いない。そのストックだけで満ち足りて生きていけそうなほどだ。いうならば、陽性のオタク。
限られた生の時間、何かしら楽しみをみつけ、豊かにしたい。地図を例に、遊びの世界へ誘うガイドブックである。
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