書評

『虫娘』(小学館)

  • 2021/11/04
虫娘 / 荒野, 井上
虫娘
  • 著者:荒野, 井上
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(250ページ)
  • 発売日:2017-02-07
  • ISBN-10:4094063943
  • ISBN-13:978-4094063943
内容紹介:
四月の雪の日、あたしは生き返らなかった 舞台は、東京・中目黒にある瀟洒なシェアハウス(Bハウスと名づけられている)。ここには五人の男女が住んでいる。樅木照(もみのきひかる)はもう… もっと読む
四月の雪の日、あたしは生き返らなかった

舞台は、東京・中目黒にある瀟洒なシェアハウス(Bハウスと名づけられている)。ここには五人の男女が住んでいる。樅木照(もみのきひかる)はもう死んでいた」ーーという衝撃的な一行からこの物語は始まる。しかも死んだはずの照の意識は今もなお空中を、住人たちの頭上を、「自由に」浮遊している。五人の住人やこの家を管理する不動産屋の担当者の隠された内面が、照の死によって次第にあぶりだされていく。
《Bハウスのひとたちは自分以外みんな、不自由だと照は感じていた。あたしの死によって、気の毒なことにあのひとたちはさらに不自由になってしまったらしい。》
《みんなが照を嫉んでいたにちがいない。みんな不自由だったが、照は自由だった。俺も彼女が嫉ましかった。でも、俺は殺していない。じゃあ、誰だ?》
《あの日、あのことをはじめたのは自分だった。ただ、はじめたときに悪意があった。悪意の正体は嫉妬だった。》
著者の新境地をひらくミステリー&恋愛小説の傑作。
解説:角田光代
装丁:宇野亞喜良

死の真相に潜む日常の狂気

舞台は、東京・中目黒にある瀟洒な洋館。シェアハウスとして使われているこの家には、五人の住人が住んでいる。冒頭で、住人のひとり、樅木(もみのき)照(ひかる)が死ぬ。けれど語り手は照である。照の意識は今なおあって、体は自由に、どこへでも飛んでいける。

照、シェアハウスの残された四人の住人たち、それからこの家担当の不動産屋の男。それぞれに視点を移しながら、小説は進行していく。やがて、この家に住む人たちがたんなる店子(たなこ)同士という関係ではないこと、照の死には不自然な点があることが、わかってくる。

このシェアハウスに住んでいるのは、一癖ある人ばかりだ。死んだ照の職業はヌードモデル、不自由が大嫌いで、生きているときも、死んだように生きていた。ほかには三十代半ばのフリーライターであるみゆき、イタリア料理のシェフ竜二、五十代の売れない俳優真人、二十代後半の銀行員葉子。接点のない住人たちなのに、よく集まっては竜二の作る料理を食べ、みゆきの作るハーブティーを飲んでいる。

仲がいいとはけっして言えないが、けれど仲が悪いとも言えない彼らの、いびつな関係が、照の死によってゆっくりとあぶり出されてくる。感触として、それは非常に気味の悪いものなのに、なぜか色合いとして、かなしみが広がる。小説のなかに描き出される飲みものや料理や、季節によって色を変える木々や使い慣れたテーブルが、どんどん、かなしみの色を帯びてくる。

どういうわけだか、このシェアハウスに集った人たちは、生きるとはなんであるのかという問いを負っている。それは彼らそれぞれにとって、自由とはなんであるのか、という問いでもある。生きること、それがひとりひとりにとって違うように、それぞれの思い描く自由も違う。銀行員の葉子が獲得しようとする自由と、俳優の真人がもてあましている自由とは違う。照が自由でいるために続けた行為を、葉子もみゆきも自由と思うとはかぎらない。それでも、ひとつ屋根の下にいる彼らは、何が自由で何が生きることなのか、わからなくなっていく。それぞれの自由と生の、判別がつかなくなっていくのである。結果、自分のものではない自由が、自分には似合わない生が、ほしくなる。それを手にした人が、妬ましくなる。

自由であることは、何もかも許されて生きることは、もしかしてものすごくかなしいことなのかもしれない、と読み進むうちに思えてくる。だってそれは、生きることから除外されるようなことだから。虫のような女、と幾度か人から例えられ、今や体だけ自由な照が、そんなふうに告げているように思える。小説がかなしみを帯びていくのは、だからだ。彼らがどんどん、間違った方法で自由を獲得していってしまうからだ。

やがて照の死の真相があらわになる。同時に、このハウスの住人たちのねじれた秘密も暴かれる。その真相や秘密自体よりも、ここに潜んでいる日常の狂気に驚いてしまう。だれもがしあわせになろうとしていて、だれもが楽しく生きようとしていて、それ自体あたりまえでごくふつうのことなのに、なぜかそこから狂気が芽生え、いろんな種類の孤独を養分に、ぐんぐん育っていく。ラストで、照は、今までは考えることもしなかったあらたな思いを抱く。照がずっと目をそらしていたそれは、彼女の得た自由なんかより、もっともっと彼女を解き放したのかもしれない。そう思ったとき、この虫女をはじめていとしく感じる。自分自身の一部のように。
虫娘 / 荒野, 井上
虫娘
  • 著者:荒野, 井上
  • 出版社:小学館
  • 装丁:文庫(250ページ)
  • 発売日:2017-02-07
  • ISBN-10:4094063943
  • ISBN-13:978-4094063943
内容紹介:
四月の雪の日、あたしは生き返らなかった 舞台は、東京・中目黒にある瀟洒なシェアハウス(Bハウスと名づけられている)。ここには五人の男女が住んでいる。樅木照(もみのきひかる)はもう… もっと読む
四月の雪の日、あたしは生き返らなかった

舞台は、東京・中目黒にある瀟洒なシェアハウス(Bハウスと名づけられている)。ここには五人の男女が住んでいる。樅木照(もみのきひかる)はもう死んでいた」ーーという衝撃的な一行からこの物語は始まる。しかも死んだはずの照の意識は今もなお空中を、住人たちの頭上を、「自由に」浮遊している。五人の住人やこの家を管理する不動産屋の担当者の隠された内面が、照の死によって次第にあぶりだされていく。
《Bハウスのひとたちは自分以外みんな、不自由だと照は感じていた。あたしの死によって、気の毒なことにあのひとたちはさらに不自由になってしまったらしい。》
《みんなが照を嫉んでいたにちがいない。みんな不自由だったが、照は自由だった。俺も彼女が嫉ましかった。でも、俺は殺していない。じゃあ、誰だ?》
《あの日、あのことをはじめたのは自分だった。ただ、はじめたときに悪意があった。悪意の正体は嫉妬だった。》
著者の新境地をひらくミステリー&恋愛小説の傑作。
解説:角田光代
装丁:宇野亞喜良

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2014年9月21日

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