書評

『世界を回せ 上』(河出書房新社)

  • 2020/05/13
世界を回せ 上 / コラム・マッキャン
世界を回せ 上
  • 著者:コラム・マッキャン
  • 翻訳:宮本 朋子,小山 太一
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(268ページ)
  • 発売日:2013-06-11
  • ISBN-10:4309206220
  • ISBN-13:978-4309206226
内容紹介:
1974年夏。ニューヨーク。一人の若者が、空に踏み出した。世界貿易センターのツインタワー間で、命綱なしの綱渡り。その奇跡の行動が下界に魔力を及ぼしたかのように地上では、出自も年齢も環境も異なる人々がひそかにつながりはじめる-全米図書賞・国際IMPACダブリン文学賞受賞作。

綱渡りへの視線、境遇越えつなぐ

1974年8月7日の早朝、マンハッタンの今はなき世界貿易センターのツインタワーの間で綱渡りした男がいた。地上400メートル(!)に張られたワイヤーの上を歩いたのは、フランス人綱渡り師のフィリップ・プティ。だが本書は彼の物語ではない。彼に注がれた驚愕の視線、言葉、吐息と混じり合い、ある意味で彼を包み支えていた空気を、あの日共有していた人々がむしろ主人公なのだ。

じじつ各章は、それぞれが独立した物語として読める。深い傷や悔恨を心に抱えた人物たちの視点から書かれた人生の物語を、中空の小さな一点(プティ)が、いわば世界の中心となって奇蹟的に結び合わせる。その世界は悲しく切なく、強く抱きしめると壊れてしまいそうなほどはかなく美しい。

小説が展開される時代、アメリカではベトナム戦争により多くの若者が命を落としている。戦死した息子を持つ母親の会を通じて知り合う白人のクレアと黒人のグロリア。プティが綱渡りを決行した日、マンハッタンの超高級街の豪奢なマンションに暮らすクレアを、ブロンクスの荒廃した公営アパートで生活するグロリアが訪問する。目にも明らかな階級と貧富の差が、同じ傷を持つ者同士を結びつける絆を分断しようとする。

奇しくもその日、地方判事であるクレアの夫は、逮捕されたプティの審理の直前に、グロリアの隣人である売春婦ヘンダーソンの審理を行っている。38歳にして二人の孫を持つヘンダーソンを苛(さいな)む悔いは、娘ジャズリンを自分と同じ暴力とクスリまみれの仕事につかせてしまったことだ。審理の直後、その娘に悲劇が……。

グロリアがクレアに言うちょっとした冗談が、扉を開くように二人の心を通い合わせる瞬間は感動的だ。同じ時空間にありながら、天と地ほども境遇の異なる人物たちが生きる全く別種のリアリティを克明に描き出し、それらを一つにつなげる作者マッキャンこそ、魂の綱渡り師だと言いたくなる。

プティはツインタワーの間を水平に渡ることで、人々の耳目を上空に向けさせ、天と地を結んだ。マッキャンもまた、ジャズリンら売春婦の生活改善に献身的に取り組むアイルランド人修道士コリガンが、天なる神への垂直的な愛と地上的・肉体的な愛との間で煩悶(はんもん)する姿を描くことで、どんな人間の魂のなかでも崇高さと凡俗さがつながっていることを示す。

天と地、美と醜、善と悪だけではなく、ジャズリンの成長した娘の〈いま〉を描くことで、小説は過去と未来もつなぐ。世界は回り続ける。共存しえないものがそれでも均衡点を見出し、人間と世界への信を許してくれる恩寵的な瞬間がこの小説には満ちている。
世界を回せ 上 / コラム・マッキャン
世界を回せ 上
  • 著者:コラム・マッキャン
  • 翻訳:宮本 朋子,小山 太一
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(268ページ)
  • 発売日:2013-06-11
  • ISBN-10:4309206220
  • ISBN-13:978-4309206226
内容紹介:
1974年夏。ニューヨーク。一人の若者が、空に踏み出した。世界貿易センターのツインタワー間で、命綱なしの綱渡り。その奇跡の行動が下界に魔力を及ぼしたかのように地上では、出自も年齢も環境も異なる人々がひそかにつながりはじめる-全米図書賞・国際IMPACダブリン文学賞受賞作。

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初出メディア

朝日新聞

朝日新聞 2013年07月21日

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