社長は11歳、男子小学生!? 爆笑必至の金融ブラックコメディ!
『JR』は、アメリカの作家ウィリアム・ギャディスによる小説。11歳の小学生男子「JR」が巨大コングロマリットを立ち上げ、世界経済に大波乱を巻き起こす――という、まるでライトノベルのような奇抜な設定の作品ですが、第27回全米図書賞受賞作の、まごうことなき世界文学史上の最高傑作でもあります。今回は訳者の木原善彦氏によるあとがきから特別に一部を抜粋、本作についてご紹介します。------
ウィリアム・ギャディスとその代表作『JR』の名を日本の読書人に最も広く知らしめたのは、推理作家で読書家としても知られた故殊能将之氏のブログ記事(二〇〇二年八月六日付)かもしれない。当該の文章は既に『殊能将之 読書日記』(講談社)として書籍化されているが、そこにはこう書かれている。
──Money? のひと言で始まる本書のテーマはずばり「金」。JRという高度資本主義社会のハックルベリー・フィンを主人公にした金融ブラックコメディであり、ものすごくおもしろい。
ただし、同時にものすごく読みにくい小説でもある。
おそらくこれほど簡潔に『JR』の本質を説明する日本語の文章は他にないだろう。
殊能氏は本書のあらすじも、面白く、かつ端的に紹介しているのだが、それは当の『読書日記』でお楽しみいただくとして、ここではもっと教科書的に、作家と作品を紹介することにしよう。
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『JR』の舞台はニューヨークで、一九七〇年代のある年の秋の数か月にわたる出来事を扱っている。
厄介なのはそこで描かれる「出来事」だ。物語の中では、まさに無数の出来事がさまざまなレベルで起きる。実際、冒頭から一〇八頁までは同じ一日のことが書かれているのだが、情報密度が高いためにどれだけの時間が経過したか見失ってしまう読者もいるだろう。
しかも会話が中心の本文はいちいち立ち止まって細かい事情を説明してはくれない。人物の紹介もない。会話の言葉も切れ切れで、言いよどんだり、言い直したり、邪魔が入ったり、聞き手が勘違いしたりで、とにかく初読ではぼんやりした主筋とこまごました断片とが充分に結び付かない。その断片を組み立てていくのが本書を読む(あるいは文学作品一般の)醍醐味だと言える。
より日常的なたとえで言うなら、この読書体験は、喫茶店や電車で隣に座った人たちの会話を聞いてその背後にある人間関係と出来事を想像するのに似ている。
「どうしてもっと平たく書けることを平たく書かないのか」という反応ももちろんあるだろうが、しかし説明の言葉があることで面白みがなくなるということも私たちの周囲にはよくある。
例えばジョーク。
ジョークは普通そのオチをくだくだ説明したりはしない。ジョークの解説を聞かされることほど興ざめなものはない。ギャディスの小説も同様にこちらが積極的にオチを理解してこそ面白いのだ。解説の必要なジョークを言う芸人は駄目だと言って芸人を批判することはエンターテインメントに対する健全な態度として許されるだろうが、積極的解釈が必要な小説を書く小説家を同じ理屈で批判することはできない。これは情報の密度という点でも傑出した技法だ。例えば、車に乗るステラとギブズの間でこんな会話が交わされる。
──ラジオなんて要らないでしょ?
──くそライターを探してるんだ。
酔っ払ったギブズが車のパネルにあるシガレットライターを探している。彼はカーラジオのつまみもライターのつまみも区別できないほど酔っている。他方で、ステラはそんなギブズを冷たくあしらっている。会話の言葉だけで、二人の動作や状態、心情が必要充分に示されているわけだ。
かつて、小説家・劇作家のサミュエル・ベケットが「現代の混乱を受け止められる形式を見つけ出すこと。それが今、芸術家の使命だ」と述べたことがあるが、ギャディスはこの『JR』においてまさに、その形式を見つけているのではないだろうか。
一九七五年に発表されたこの小説は今でもまったく色あせていない。いや、むしろ、世界のそこら中がアメリカになってきた(グローバル化してきた)今日、時代が、あるいは世界が、この小説に追いついてきたとさえ言えるかもしれない。JRは公衆電話を学校に設置させて正体を隠しながら投資活動を行うが、今ならインターネットと携帯電話を通じて同じことをするだろう。二〇〇一年、アメリカではエンロン事件があった。二〇〇八年にはリーマンショックがあった。その他にも、現在のグローバルな経済システムの非情さや醜さはあらゆるところに姿を現しているが、システムそのものはまさに『JR』が戯画化している通りのものである。二〇〇六年の日本でも、ある著名な投資家が「お金儲けは悪いことですか?」と脳天気に言い放って注目を集めた。今日、アメリカをはじめとする一部の国のリーダーの言動や表情に顕著に見られるナイーブな貪欲さは、明らかにJRと通底している。
■作者について
ウィリアム・ギャディスは一九二二年、ニューヨークに生まれた。ギャディスはハーバード大学に入学、学位は取らずに退学して、その後、一九五五年にデビュー作『認識』を発表した。該博な知識と入り組んだプロットを盛り込んだ九五六ページから成るその大作は出版当時、あまり評価が高くなかったが、徐々にカルト的人気を集めて、ドン・デリーロ、トマス・ピンチョン、ジョゼフ・マッケルロイなど、一九三〇年代生まれの革新的作家たちに決定的な影響を与えたとされる。
第二作『JR』を発表したのは『認識』刊行から二十年が経過した一九七五年のことだった。重厚なデビュー作とはかなり趣が変わった『JR』は全米図書賞を受賞し、「読まれざる大作家」としてカルト的な評価が高かったギャディスの実力がここで広く認められた。
その他に第三作『カーペンターズ・ゴシック』(一九八五年)、第四作『フロリック・オブ・ヒズ・オウン』(一九九四年)など。一九九八年死去。
■あらすじ
小説はまず、ゼネラルロール社(自動演奏ピアノ用のロールを製造する会社)のオーナー、トマス・バストが遺言を残さずに亡くなったことを受けて、遺産の相続と会社の所有権(全部で百株)をめぐる問題が持ち上がっているところから始まる。
トマス所有の四十五株のうちの半分は娘のステラが相続し、その夫ノーマン・エンジェルの所有する二十三株と合わせて、エンジェル夫妻は会社の支配的持ち分を得ようとする。しかし他方で、現在海外にいるトマスの兄ジェイムズ(作曲家、指揮者)が持つ株を、ジェイムズとトマスの二人の未婚の妹アンとジュリアの所有する二十七株と合わせれば、支配的持ち分に近づく。そこに不確定要素として関わってくるのがエドワード・バストとジャック・ギブズである。エドワードはジェイムズとネリー(トマスの二番目の妻)との間に生まれた婚外子だが、エドワードが誕生した当時、トマスとネリーはまだ婚姻関係にあったため、ステラが相続する予定の株の半分を要求できる可能性があり、そうなれば会社の支配的持ち分はジェイムズ側が握ることになる。ジャック・ギブズはステラの元恋人で、以前、退職金代わりにもらった五株を今でも持っている。計算高いステラはエドワードに相続権を主張させないように仕向ける一方で、ギブズの株のありかを突き止めようとし、ノーマンの株さえわが物にしようとする。
この小説の主筋に大きく関わるもう一つの家は、マンハッタンの上流階級のモンクリーフ家だ。
タイフォン・インターナショナル社社長モンティ・モンクリーフの美人の娘エイミー・モンクリーフは、財産目当てで結婚相手を探していたスイス人ルシアン・ジュベールと結婚するが、二人の仲はうまくいっていない。エイミーにはギブズと同級生だった兄のフレディーがいるが、彼には知的障碍がある。タイフォン社の会長はエイミーの大伯父ジョン・ケイツ州知事である。
タイフォン社は小説中に登場する多くの会社(ダイヤモンド・ケーブル社、ノビリ製薬、エンド設備など)の株を保有し、その資産の多くは二つの財団(一つはエイミー名義、もう一つはエイミーの息子フランシスの名義)によって資本の流用を制限されている。ここで登場する「財団」とは、毎年一定額を慈善団体などに寄付することによって免税の地位を得つつ(この二つの財団の寄付は一族の経営する病院に回されている)、家族を理事とすることで有利な資産管理ができる制度である。ダイヤモンド・ケーブル社の株の多くを所有しているのは、ジェット機で世界を飛び回る超有閑上流階級のティーンエージャー、ブーディ・セルクである。彼女の母親ゾウナ・セルクは、モンクリーフ家の古くからの友人だ。
エイミー・ジュベール、エドワード・バスト、ジャック・ギブズの三人はロングアイランドにある中学校の教員だ。校長のホワイトバックは地元の銀行の頭取でもある。ホワイトバック校長はいろいろな人物をうまくなだめるのに大忙しだ。口うるさい教育委員(例えばタイフォン社傘下にあるエンド設備社員のハイド少佐)や地方教育長のヴァーン・ティーケルや地元政治家や建設業者や右翼団体「教育マナーをまもる市民の会」や最新教育機器の採用実態を調査する財団からの客などが次々に校長の元を訪れている。
このとんでもない学校に通っているのがJR・ヴァンサントだ。JRのいちばんの友達はハイド少佐の息子(名前は出てこない)で、二人は共通の趣味としてダイレクトメールや通信教育勧誘メールを交換したり、集めたりしている。派手なビジネス・チャンスを狙うJRの情熱とハイドの息子の馬鹿な愛国主義がちょうどお似合いの組み合わせとなっている。
成功は独立心と勤勉とによって得られるとする脳天気なアメリカ的物語をパロディーにするかのように、JRは成功の道を突き進み始める。JRはわらしべ長者のように徐々に投資の規模を拡大し、あっという間にJR企業グループを築き上げ、アメリカ経済のあらゆる側面(バスト一族のゼネラルロール社やモンクリーフ一族のさまざまな会社を含め)に関わっていく。
[書き手]木原善彦(きはら・よしひこ):アメリカ文学者・大阪大学准教授