書評
『中間航路』(早川書房)
超弩級の興奮と快楽
チャールズ・ジョンソンというアメリカの作家がいる。この人の『中間航路』(原題“Middle Passage”)という小説がどんなにすごい小説か、それを多くの友人にどうすればうまく紹介できるか、この半年、そのことを折にふれ考えていた。たとえば、この小説は一九九〇年の全米図書賞を受賞したとか、ニューヨーク・タイムズ・ブックレヴューの「メルヴィルの『白鯨』の伝統を確かに受けついだ大胆で、かつ魅惑的な小説」といった讃辞を引いたところでつまらない。じゃあ、まず粗筋だけでも述べようか。
……奴隷から自由の身になったばかりの泥棒稼業の黒人青年が乗り込んだのが、アフリカの黒人を狩り集めてアメリカに運ぶ奴隷船で、その船の中での迫力ある冒険とサスペンスにみちた海洋小説、と、こうなるのだが、これでは誰一人書店へ走らせることはできない。
とにかく僕は夢中で読んだ。超弩級の興奮と快楽に久しぶりに酔った。おそらくかつての『百年の孤独』以来のこと。いや、僕はいまやマルケスに感じるけれん味を少々敬遠気味なのだが、ジョンソンには全くそれがない。マルケスは、百年という時間と、マコンドという町の中に、ラテン・アメリカの草創期を封じ込めたが、ジョンソンは、小さな奴隷船リパブリック号の中だけで、しかもたったの五ヵ月の航海時間の中に、黒人奴隷の歴史とアメリカ合衆国草創期を描き切ってみせた。みごとな達成だ。
これでも褒め足りない。そうだ、そもそも僕はこの小説のことをどこで耳にしたのだったか。そこのところを説明しなければ……。今年四月、山田詠美さんが「チュウカンコウロッテイイワヨ。ホント! スッゴクイイワヨ!」と耳打ちしてくれたんだった。
「そう、そんなにいいの」
出てまもないというし、すぐみつかるだろうと出版社の名もきかず別れた。ところが八重洲BCにも東京堂にもない。そこで別の件で山田さんにハガキを書いた折、チュウカンコウロミツカラズと訴えたところ、三日と置かず手配して届けてくれた。といった顚末でやっと『中間航路』を読むことができたわけで、山田詠美さんに感謝。
さて、主人公の黒人青年・ラザフォードは、情の濃すぎるイサドラとニューオリンズ暗黒街の親分パパ・ゼリングの脅迫から逃れようと奴隷船にもぐりこむ。ところがこれが牢獄より始末が悪い船で、黒人をアフリカから連れてきて暴利を貪っているファルコン船長は、子供ほどの背丈しかない歪みに歪んだ悪党だが、妙に深遠なところもある怪物。船員も水夫も全員揃ってあぶれ者。さらに、アフリカで積み込まれた黒人奴隷四十人ほどのアルムセリ族の男女というのがアフリカきっての魔術使いの猛者(もさ)どもだ。おまけにファルコンは、船倉深くに或る魔物を梱包して閉じ込めてある。こいつを売れば奴隷よりももっと金になる、と彼はいう。正体は、森羅万象すべてを支え、統(す)べるアルムセリ族の神だ。これに近づいた者はみんな気が狂ってしまう。
リパブリック号は嵐につぐ嵐に遭遇して船体も人もボロボロになる。乗組員によるファルコンに対する謀反の企て、アルムセリ族の決起と、三つ巴の騒乱の中で、ラザフォードはファルコンの密偵、水夫たちの同志、黒人としてアルムセリ族の友人という背反する立場を使いわけての大活躍。読み手は、船倉の「神」のとんでもない正体に直面させられたかと思うと、あっと驚く結末へと導かれる。
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