書評

『素晴らしいアメリカ野球』(新潮社)

  • 2017/11/19
素晴らしいアメリカ野球  / フィリップ ロス
素晴らしいアメリカ野球
  • 著者:フィリップ ロス
  • 翻訳:中野 好夫,常盤 新平
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(697ページ)
  • 発売日:2016-04-28
  • ISBN-10:410220041X
  • ISBN-13:978-4102200414
内容紹介:
架空の球団の珍道中を描きつつ、アメリカの夢と神話を痛快に笑い飛ばした米文学屈指の問題作が禁断の復刊。《村上柴田翻訳堂》

アメリカの終焉を飾る

おかしな、おかしな小説である。四十年ちかく前、翻訳が出た当座に読んで、アッケにとられた。壮大なホラ話。パロディとすれば、おそろしく長い。ジョークも度がすぎると、苦痛に接するところがある。

それに原題は、ザ・グレート・アメリカン・ノヴェルなのだ。作者は「偉大なるアメリカ小説」という小説を書いた。それが『素晴らしいアメリカ野球』になった。パロディとすれば、あきらかに原題よりも訳書のタイトルがピッタリである。外国文学者の卵であった私は首をひねった。誰もがすぐ思いつくピッタリのタイトルがあるというのに、途方もなく才気あふれた作者が、どうしてそれに気づかなかったのだろう?

一九七○年代の半ばに「集英社版 世界の文学」というシリーズが出ていた。全38巻、編集委員は(五十音順)、川村二郎、菅野昭正、篠田一士、原卓也、丸谷才一。いずれも四十代から五十代のはじめ、博覧にして名うての読み巧者(ごうしゃ)たちだった。ジョイス、カフカにはじまり、ナボコフ、ボルヘス、さらにユルスナール、ル・クレジオ、そしてマルケスやコルターサルなどのラテン・アメリカ文学が勇躍入りこみ、アメリカ文学はヘミングウェイでもフォークナーでもなく、ユダヤ系のマラマッド、ベロー、そしてロスの『素晴らしいアメリカ野球』。大きな天窓が開いたぐあいだった。そこから爽快な風が流れこんだ。

同じ訳書に、このたびは「村上柴田翻訳堂」とついている。本文は同じだが、巻末に新しく柴田元幸による注釈、また翻訳堂主人、村上春樹と柴田元幸の対談がそえられた。ただこれだけの手つづきで、まるきりちがう本になった。

「スミティと呼んでくれ。みんながおれをそう呼んでる」

マーク・トウェインのホラ話などにおなじみの語り出し。ちがうのは、マーク・トウェインは虚実を巧みにおりまぜたが、ロスでは虚虚からまり合って、はてしない。第二次大戦中のこと、アメリカ大リーグには、おなじみの二リーグ以外に、「愛国リーグ」というのがあって、球団の一つマンディーズは、ホーム球場を軍事施設に差し出したばかりに放浪球団として連戦連敗。一九四三年最終勝敗表によると、三四勝一二○敗、勝率二二一、勝差五六。メンバーの「行伝」が笑わせるが、笑いというなら、ふんだんにある。

「キャッチャーはエキジビション・ゲームの意味を誤解してるんじゃないかね」

ユダヤ・ジョークは言葉の意味の取りちがえによるものが多いが、注釈のおかげで、おもわずニヤニヤさせられる。ほかにも時の名言を茶化(ちゃか)したり、古典を踏まえた書き替えだったり、文体をまねていたり、スローガンのもじりだったり、命名にまつわるギャグだったり……。エピローグは老人ホームからの「旅人がけっして帰ってこない、あの未踏の国」(『ハムレット』)に宛てた手紙。

フィリップ・ロスがこれを発表した一九七三年、ウォーターゲート事件が発覚した。巷(ちまた)では大統領の犯罪がとりざたされていた。ケネディが暗殺されてより、ちょうど十年目。かの地の広汎(こうはん)な中産階級がつねに夢見てきた偉大なアメリカ。星条旗とポップコーンと大統領選挙と自由と正義の国アメリカ。その終焉(しゅうえん)を「偉大なるアメリカ小説」がしめくくる。「ある種、その幕引きとしてこういう作品をロスが書いたという意味は大きいですよね(村上)」。ようやく、あきれ返ったアメリカ小説の魅力とめでたさを、存分にたのしんだ。
素晴らしいアメリカ野球  / フィリップ ロス
素晴らしいアメリカ野球
  • 著者:フィリップ ロス
  • 翻訳:中野 好夫,常盤 新平
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(697ページ)
  • 発売日:2016-04-28
  • ISBN-10:410220041X
  • ISBN-13:978-4102200414
内容紹介:
架空の球団の珍道中を描きつつ、アメリカの夢と神話を痛快に笑い飛ばした米文学屈指の問題作が禁断の復刊。《村上柴田翻訳堂》

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2016年6月5日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
池内 紀の書評/解説/選評
ページトップへ