〈家〉なき存在の現実を映す
著者の岡村淳は1987年にブラジルに移住して以来、小型ビデオカメラを片手にたった一人でドキュメンタリーを撮り続けている。彼の初期の代表作が、ナメクジの生態を記録した番組であることの意味は大きい。カタツムリが平気でも、ある意味〈家なし〉のカタツムリであるナメクジを嫌悪する人は多い。「無視され、あるいは偏見を浴びせられている存在」に視線を傾けずにはいられないところにこの希有(けう)な記録映像作家の特質がある。
日本からブラジルに渡った移民は二つの国の言語・文化の〈あいだ〉を生きざるをえない、いわば〈家〉なき存在である。労苦を重ね、ひどい差別を受けながらも、たくましく生き抜いてきた名もなき日本人移民たちの〈痕跡〉を、岡村は映像ではなく、〈言葉〉で記録する。
大地主や権力者に搾取・迫害される〈土地なし農民〉たちの闘争運動のリーダーとなった石丸さん。60年ぶりに帰国し姉と再会する80歳の陽気な妙子さん。私財を投じて、広島・長崎での被爆経験のある移民を支援する高潔な森田さん。軍国日本を嫌い、ブラジル移民の父・水野龍の書生となってかの地に渡った石井さんと、70歳にして陶芸家となった妻の敏子さん。どの方も忘れがたい魅力を備えて読者に迫ってくる。
移民の記録映像作家として、〈あいだ〉にあることの辛酸を嘗(な)めてきた著者は、売るためのステレオタイプや〈社会的弱者の救済〉というお題目を羅列する商業主義的なテレビやジャーナリズムと一線を画し、同時に移民社会内部の中傷や差別を指摘することも忘れない。だがそうした批判が返す刀で、移民の現実を映す〈鏡〉たらんとする自身の文章もまた予断や偏見から自由ではないのだと、自らの愚かさと醜さへと向けられているところが潔い。それが本書をきわめて忘れがたく美しい書物にしている。