書評

『四時過ぎの船』(新潮社)

  • 2020/07/14
四時過ぎの船 / 真人, 古川
四時過ぎの船
  • 著者:真人, 古川
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(120ページ)
  • 発売日:2017-07-31
  • ISBN-10:410350742X
  • ISBN-13:978-4103507420
内容紹介:
島の漁村を出て盲目の兄と暮す稔。今後の生き方に迷う稔の胸に甦る祖母の言葉とは――芥川賞候補作「縫わんばならん」に続く中編。

生きとれば、やぜらしかことの、たくさんあるとぞ

もう古川真人に夢中である。こんな小説家を待っていた。デビュー後の最初の作品である『四時過ぎの船』も、期待に違わぬ小説だった(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2017年)。

長崎の離島に一人で住む、認知症である高齢の吉川佐恵子が、忘れないようにメモを書いておいたノートを見て、「何もかもを思い出した」場面から始まる。そこには「今日ミノル、四時過ぎの船で着く」と書いてある。中学生の孫の稔が、一人で帰省してくるというのだ。佐恵子はこのメモを見ながら、娘の美穂と電話でそう話したことをぼんやり思い出す。しかし、時計を見たとたん、四時が近づいていることを発見して驚く。さっきまで時間を気にし続けていたのに、もう忘れていたのだ。そして時間のことに気を取られた瞬間に、稔が船で到着することを忘れてしまう。そしてまたメモが目に入り、思い出す。

これら一連の忘れたり思い出したりの描写が素晴らしい。この数ページで読み手は、この作品世界に引き込まれていくだろう。デビュー作『縫わんばならん』でも冒頭から、離島で一人暮らしする高齢女性の、記憶や体の不自由の描写が続くが、今作はより簡潔にして印象的な場面としてレベルアップしており、驚いた。

そう、この作品もデビュー作と同じ長崎の離島が舞台であり、同じ吉川一族の物語である。佐恵子は『縫わんばならん』の最終章で、その葬儀が稔の視点から描かれる。本作では、生前の佐恵子の内面と、その死後に家の整理に島へ帰省した稔たち母子の様子が、交互に叙述される。

稔が祖母である佐恵子にどことなく関心を引かれるのは、佐恵子が一族の中で数少ないよそ者だからだ。島の外から吉川家に嫁ぎ、島の生業である農業にも漁業にも無縁であり、子どもも生まれなかった。そのことが佐恵子に深い疎外感と孤独感を抱かせる。やがて義理の妹夫婦の娘である美穂を養子に取り、今度は美穂が疎外されないために料理を習得し、そのことで地域社会に受け入れられるようになる。その佐恵子がよく口にしたのが、「やぜらしか」という土地の言葉だ。稔は祖母を思い出しながら、自分を今縛っているのがその「やぜらしか」の感覚だと気づく。

稔は、東京でシステムエンジニアをしている全盲の兄、浩とともに暮らしている。兄のサポートをするだけで、自身は仕事に就いていない。三十歳を前に、自分の将来への不安が無視できなくなり、居場所がないと感じている。存在の希薄さに耐えている。そんな中で、兄の世話のこまごまとした瞬間に、「やぜらしか」気分を抱く。それは「舌打ちをしたくなるような忌々しさ」である。

佐恵子の人生は「やぜらしか」ことの連続だった。「若い頃には無数にあったはずの、もしかしたら、あるいは別の道を歩んでいたら、ちがう人生を選べていたなら――こういった、ありえたかもしれなかった様々な可能性が歳を重ねるうちに次第に消えていったあとの現在を、それでも肯定しないとすまない気持ちが言わせることば」を、佐恵子は思い出すが、すぐに忘れる。その言葉は、無職の稔が、「普通に」仕事も家族も持っている同世代の者たちといる時に、衝動的に口にしたくなる言葉と同じ類かもしれない。

「言わんでも良いことを、言わないようにしないといかん」そう彼は考えた、しかしでは何を言ってはいけないのだろうか? という疑問が頭のなかに浮かび、ひとつのことばが閃いた。そしてそのことばこそ、自分が何に苛立っているのか、「やぜらしか」ものを感じているのかをあきらかにしてくれるような気がした。

佐恵子は近代の地域共同体の中で、稔はそのような共同体が崩壊した後の現代で、それぞれの「やぜらしか」ことに苛まれている。稔が感応するのは常に、共同性からはみ出す者たちに対してである。稔が佐恵子と次第に深くシンクロし、「やぜらし」さに対して肚がくくれていくくだりは、まだ若い稔が未来を信じ直す過程といえるだろう。

この小説には、もう一人、よそ者の島民が登場する。風力発電の技術者として駐在しているインド人一家の子どもの、ラシュワンという男の子である。この子どもが現れる極めて印象的な場面は、稔に未来の感覚をもたらす。驚かすように突然、稔と浩の前に現れ、「こんにちは!」と言うのだ。

自らがことばを発すれば、相手がそれに応じておなじように、しかし、自分とはまるでちがう声で返事をする――このことが、子供にとっては不思議でならないのであった。それがどうして不思議なのかも分からずに、たのしい気持ちが口と耳をかけめぐる。そしてそれこそ、ことばという手段によって最初に世界に触れるよろこびにほかならないのだったが、子供はそのことが分からない。

このラシュワンが覚えて話す「日本語」は、当然、この島の言葉である。音声でしかない土地の言語を、文字として書くことは、想像するほどたやすいことではない。メジャーな方言でない限り、それを文字に「翻訳」するには、書き手が自分独自の辞書を、心の中に作る必要があるからだ。古川作品の言語は、日本語を広げる発明なのだ。

このようなマイナー性への繊細さ、まだ二十代の男性なのに高齢の女性たちの内面や感覚をここまで描ける憑依される才能は、権力関係を捨てて自分以外の人たちの言葉を聞き存在を見る姿勢に支えられている。

本作はテーマを一つに絞り、登場する人物も最低限に抑えたため、じっくりと展開でき、またそれを支える技術の進歩も目ざましく、デビュー作より読みやすくなった。逆に言うと、四世代に渡る一族の歴史を三人の老女の記憶で描いた前作ほどの密度はなくなった。あの宝物庫のような過剰さに耽溺した身としては物足りなくも感じたが、広い読者にアピールするにはこのバランスが必要だということなのかもしれない。

古川作品の魂は、何と言っても、書き手の切実さだろう。書かずにはいられないことを書いているというだけではなく、古川真人は、小説を書くことでしか表現ができない。まさに小説を書くことで存在し、生きている。社会の力関係を放棄し、そこから見え聞こえる言葉を、小説にしかできない書き手。そうして書かれた言葉が、どれほど豊かで魅力に満ちていて、私たちを救ってくれるか、これからもさらに証明されていくだろう。
四時過ぎの船 / 真人, 古川
四時過ぎの船
  • 著者:真人, 古川
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(120ページ)
  • 発売日:2017-07-31
  • ISBN-10:410350742X
  • ISBN-13:978-4103507420
内容紹介:
島の漁村を出て盲目の兄と暮す稔。今後の生き方に迷う稔の胸に甦る祖母の言葉とは――芥川賞候補作「縫わんばならん」に続く中編。

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初出メディア

新潮

新潮 2017年10月号

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