文化人類学者レヴィ=ストロースによれば、あらゆる神話はそれを構成する基本的主題の変形からなり、神話の物語には一定の普遍的構造が隠されていて、それによってすべての神話は説明できるんだそうです。つまり、使い回しがきく、便利な体系なんですね、神話は。
ところが一九世紀末、人類は自然主義にかぶれてしまいます。女弟子に妄執を抱きながらも想い果たせず、彼女が使ってた蒲団に顔をうずめて泣くオレ――そんな話を書いた田山花袋なんて作家も「何事も露骨でなければならん、何事も真相でなければならん、何事も自然でなければならん」と、大変な剣幕で己の内面やら性欲やらと向かい合う文学を称揚した、そんな時代があったわけです。
それから幾星霜(いくせいそう)。人類はさまざまな文学理論をこさえては否定し、こさえては否定して、二〇世紀後半に至っては勢い余って「死んじゃったー」なんて文学自体を殺してしまい、己の首を締めている有様。錯乱するにもほどがありましょう。
で、ですね。思弁的コミック・ノベルという、かつて筒井康隆が頑張っていたものの、今となってはその困難さゆえに日本では誰も手を出さなくなってしまった分野を一人開拓し続けている佐藤哲也の最新刊『熱帯』は、神の呪いによって熱帯と化した東京を舞台に、ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』の語りを下敷きにしながら、スパイ小説、SF、戦隊アニメやK-1のパロディ、映画『レザボア・ドッグス』などを織り込んだ、スラップスティックな風刺喜劇になっているんです(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2004年)。
自然主義お得意の内面描写は皆無。神が唐突に現れて、エウリピデスの悲劇に出てくる「デウス・エクス・マキナ」みたいに人間が生み出すカオスの交通整理をしてくれるわ、登場人物が読み手に向かって自作解説しちゃうわ、何でもあり。システムエンジニアや、不明の事態を不明なまま放置するために置かれている不明省の役人、熱帯と化した気候を不快に感じるのは愛国心の欠如であるとしてエアコン破壊テロを繰り返している右翼団体、KGBにCIA、果ては超ラブリィな水棲人までが入り乱れ、エントロピーの増大を思わせる無秩序一途の物語を駆け抜けて、“事象の地平”その彼方を目指すんであります。
なんて説明されたって「なんのこっちゃ」と思うでしょ。いいのいいの、全部わかんなくたって。そのわかんなさも含めて面白い、スリリング。これは、そういう小説なんですから。神話にはこんな再利用の仕方もあるのねっ。トヨザキ感服つかまつり候の巻でございました。
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