前書き

『文庫 夏目漱石の 人生を切り拓く言葉』(草思社)

  • 2020/06/30
文庫 夏目漱石の 人生を切り拓く言葉 / 齋藤 孝
文庫 夏目漱石の 人生を切り拓く言葉
  • 著者:齋藤 孝
  • 出版社:草思社
  • 装丁:文庫(247ページ)
  • 発売日:2020-06-04
  • ISBN-10:4794224575
  • ISBN-13:978-4794224576
内容紹介:
とかくこじんまりと生真面目に生きる若者に「本当の真面目さ」とは、もっと腹の底からの大真面目だと説く漱石からの魂のメッセージ。
漱石は、若い弟子たちに「牛のように進め」と語っていました。この牛のイメージには、こぢんまりとしない、「スケールの大きな真面目」「パワフルな真面目」の理想が込められています。本書は、そんな漱石の“真面目力”を斎藤孝氏が読み解き、先行きが見えない時代に生きる私たちに、これからを生きる上でのヒントを与えてくれます。
以下に、著者によるまえがきを掲載します。
 

牛に託した「真面目さ」

夏目漱石は、やがて作家となる久米正雄と芥川龍之介に、亡くなる年(大正5年)の8月21日、「君方は新時代の作家になるつもりでしょう。僕もそのつもりであなた方の将来を見ています。どうぞ偉くなって下さい。しかし無暗にあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んで行くのが大事です」と書き、三日後の24日にも、「牛になることはどうしても必要です」「牛は超然として押して行くのです」とくりかえし書いています。さらに芥川には「ずんずんお進みなさい」とも書いています。久米と芥川はこの言葉に、作家として、人間として、人生を切り拓いていく勇気をどれだけ得たことでしょう。

漱石にとって、牛とは「真面目」の象徴です。〈牛のように大真面目に黙々とずんずん進んで行きなさい〉これが漱石の人生最後のメッセージでした。他人の顔色をうかがうのではなく、また評価をすぐに求めるのではなく、ひたすら図々しく一歩ずつ前に進んで行く。〈牛のように大真面目に黙々とずんずん進んで行きなさい〉は、まさにこの本のタイトル『夏目漱石の人生を切り拓く言葉』を象徴するものです。

この本では、牛のように進む力を〈真面目力〉ととらえました。
 

本当の「真面目さ」とは何か?


近ごろ、私が教えている大学生のあいだで「真面目にやっているけれど評価してもらえない」「真面目にやっている分だけ自分が損をしている気がする」という声を耳にします。

たしかに年々、若い人たちが真面目になっていることを私自身も実感しています。大学の授業もサボらずにほとんど出席してきます。ほぼ欠かさずに出席している学生からは、自分は真面目に授業に出席しているのに、欠席しがちな人と成績が同じなのはおかしいから、出欠をちゃんと取って評価に差をつけてほしいという声が大きくなって、近ごろは教師が必ず出席を取るようになっています。

しかし、本当の意味で彼らが真面目かと言うと、そうとは言い切れない面があるように思います。出された課題はきっちりこなすけれどもそれ以上のことはやらない。言われたことをきちんとこなすという意味では真面目なのですが、授業で刺激を受けて、自分から興味をもってさらに問題を追究するというふうにはなかなかなりません。

そうした学生たちが就職して、企業において真面目で評判がいいかというと、もちろんそれなりに仕事にフィットはしているのですが、会社や仕事になじめずに辞めてしまう人も少なくありません。

若い人に接するなかでそんなことを日々感じている私は、〈真面目〉ということを改めて考え直してみようと思い立ち、夏目漱石のメッセージにヒントを探りました。〈真面目〉を考えるにあたって、なぜ夏目漱石を選んだのか。明治の世(死去したのは大正5年ですが)を生きた漱石の人生を切り拓いた言葉が〈真面目〉だと考えたからです。漱石はしばしば手紙などで弟子や後輩などの若い人たちに向けて「真面目におやりなさい」と書いています。小説のなかにも〈真面目〉という言葉が出てきます。

 

漱石の真面目のスケール


これまで漱石のキーワードとして〈真面目〉がとりあげられることはなかったように思いますが、私は、〈真面目〉こそ漱石の人生の柱をなす言葉ではないかと考え、漱石の言わんとする〈真面目な生き方〉とは何かを解き明かしてみようと思いました。

「真面目におやりなさい」と漱石が言うときの真面目とは、おとなしく課題をこなすというようなことではなく、未開のジャングルを自らの力で切り拓いて、ずんずん前へ前へと進み、傷だらけになってもなお前に進み、倒れるまで進みなさいということを意味しています。

前人未踏の荒野を行くような〈スケールの大きな真面目〉〈パワフルな真面目〉、言葉をかえれば〈大真面目〉です。

生真面目というと、こまかいことまできちんとやるが、融通が利かず、スケールが小さいというニュアンスがありますが、漱石はそれとは反対のスケールの大きな真面目を推奨しただけではなく、漱石自身がそのような生き方によって人生を切り拓きました。

漱石は近代日本の文学をつくり上げた中心人物です。三十三歳から三十五歳にかけて官費留学生としてロンドンに渡りました。その地で英文学論をものにしようと格闘したものの光明を見いだせず、「漱石が発狂した」という噂が日本に伝わるほどに、自分の〈本領〉を見つけるに至るまで悩んだり迷ったりしました。

しかしあるとき、西洋礼賛一辺倒の考えを払拭して、自分たち日本人の文学をつくるのだ、一人の日本人として〈真面目に世の中と格闘していく〉という核心を手にしたあとは、ほぼ迷いなく四十九年の人生を切り拓いていきました。それは文学の分野だけに限らず、日本人の自我(漱石は〈自己本位〉という言葉を使っています)を確立するうえで大きな役割を担っています。

漱石はたくさんの弟子を育てています。芥川龍之介、鈴木三重吉などの文学者、寺田寅彦のような科学者、和辻哲郎などの哲学者もいます。

師としての漱石は弟子たちに向けて、ひたすら〈人生〉を語っています。「私はこのように生きるのがいいと思っていますので、あなたもこうやりなさい」「あなたはもうこんなに素晴らしい生き方をしているのですから、私などよりもよほどわかっているはずです」というふうに背中を押したり、励ましたりしています。

直接・間接に漱石に影響を受けた人は計り知れないほど多いわけですが、そうした人たちを通して漱石が日本人に与えた影響はさらに大きな広がりをもっています。


真面目とユーモアは同居できる


「漱石」というペンネームは中国の故事成語の「枕石漱流」という言葉に由来します。「流れに漱ぎ、石に枕す」と読み、「俗世間から離れて、川の流れで口をすすいで石を枕として眠るような隠遁生活を送りたい」という意味です。この言葉をのちの人が隠遁の気持ちを表すときに誤って「漱石枕流」と言ってしまった。まちがいを指摘された当人は、「石で口をすすぐのは歯を磨くため。川の流れを枕にするのは水で耳の中を洗うためだ」と言い張って聞かない。ここから「漱石枕流」は「負け惜しみ、頑固者」を表すことになりました。

漱石はこの由来を知ってペンネームにしたといいますが、本人はけっして〈生真面目な堅物〉ではなく、ユーモア感覚にもすぐれています。

私は子どもたちと『坊っちゃん』の全文を音読したことが何度もありますが、あまりにもジョークがきいているので、読むたびに思わず笑ってしまいます。

『吾輩は猫である』にも「長い烟をふうと世の中へ遠慮なく吹き出した」「(結婚の)返事を聞かないうちに水瓜が食いたくなった」「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」など、面白い言い方がたくさん盛り込まれています。

漱石は面白い俳句も作っています。「どっしりと尻を据えたる南瓜かな」

ユーモア感覚が表れているだけではなく、漱石の心情もよく表れています。カボチャはどっしり腰が据わっているように、自分も腰を据えてやっていこうと思ってずっとやってきた人です。創作を重ねていけば作家としてあれこれ思い悩んだり、考えたりすることがあるわけですが、漱石は人生そのものを悩んでいるわけではありません。

ですから、漱石を〈迷っている人〉〈悩んでいる人〉とだけとらえて自分に重ね合わせるのは、漱石という巨人を自分のスケールに縮めてしまっているようなものです。

漱石は言ってみれば〈精神の巨人〉です。抱え込んでいる問題のスケールが違います。福澤諭吉は日本を自分一人で背負って立つ気概を持てと言っていますが、漱石もまさに自分の両肩に背負って立つという気概をもって文学を貫いています。くわえて、自分の言っていることが日本にどういう影響を与えるかということを自覚しながら表現していた人です。


今こそ「パワフルな真面目力」を


漱石が背負っている課題は明治期という近代日本の問題であると同時に、国の形成の過程にあって、一人一人がどのように人生を切り拓くべきか、自分の人生の問題をどうしていったらいいのかという個人の内面の問題にまで掘り下げていきました。

そうした大きな課題を抱え込んでいながらも漱石は、新聞社と契約して作品を書き、大家族を養います。家族どころか親戚までもが集まってきてしまいます。その様子は『道草』などにも書かれていますが、大きなものを抱えて生きていながら、そのことに汲々とせずに、踏みつぶすまで進んでいくという気概を語っています。

だから、これまで言われてきたイメージとはちがって、漱石という人は〈大真面目〉に〈真面目力〉で人生を切り拓いていくパワーを持った人、〈パワフルな真面目力〉を持っていた人と言うことができます。

〈パワフルな真面目力〉は羅針盤のない今の時代にこそ必要なものだと思います。

おとなしいのが真面目なわけではない。課題にちゃんと応えるだけでは真面目とは言えない。自分がやらなければいけない範囲のことをやっている程度では真面目とは言えない。自分がやりたいことを自分ができる範囲でそこそこにやっているという程度の真面目さではちょっとスケールが小さすぎる。そんなものは真面目とは言わない。〈あなたは腹の底から真面目ですか〉と、漱石は今の世の人々に問うています。

この本で漱石の言葉を読み進むにしたがって、腹の底から真面目な生き方をしてみたいと思ってくださるようになれば、没後百年を過ぎた今、漱石の志が生きてきます。では、〈真面目〉を軸に据えて漱石の〈人生を切り拓く言葉〉を取り上げていきましょう。

[書き手]斎藤孝(さいとう・たかし)
1960 年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒、同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、現在、明治大学文学部教授。
文庫 夏目漱石の 人生を切り拓く言葉 / 齋藤 孝
文庫 夏目漱石の 人生を切り拓く言葉
  • 著者:齋藤 孝
  • 出版社:草思社
  • 装丁:文庫(247ページ)
  • 発売日:2020-06-04
  • ISBN-10:4794224575
  • ISBN-13:978-4794224576
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とかくこじんまりと生真面目に生きる若者に「本当の真面目さ」とは、もっと腹の底からの大真面目だと説く漱石からの魂のメッセージ。

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