高校生がタネの保存に挑戦。「僕たちの生存戦略」なのだ
農林水産省が目指す種苗法改正案の成立が、今国会ではいったん見送られる気配が濃厚だ(六月八日現在)。野党共同会派や市民団体の反対、慎重論が大きく、SNS上でも抗議の声が高まっている。ずっともやもやしたままだ。今回の法改正の主軸は、タネの育成者の知的財産の「保護」、農家の自家増殖に関する「規制」、この二本柱。知的財産の権利保護はもちろん重要だが、いっぽう自家増殖についての規制は農家の権利を阻む可能性があり、しかし、当事者である農家の声が伝わっているとはいえず、実情を把握しないまま、議論は尽くされていない。すでに2018年、戦後から六十六年のあいだ国による米や麦、大豆の安定供給を義務づけてきた種子法が廃止され、現政府が民間の種子ビジネス参入を推し進める思惑が見え隠れする。
タネの権利は、私たちの食料の主権の大もとだ。この原点が崩れれば食と農の将来を手放すことになってしまうのだから、タネから目が離せない。
さて、話は18年2月にさかのぼる。高校受験に合格したばかりの十五歳の少年が、税務署に開業届を提出した。事業の内容は、日本各地を歩いて集めた伝統野菜のタネや自分で栽培した野菜の販売と流通。屋号は「鶴頸(かくけい)種苗流通プロモーション」、頭をひねって自分で考えた、ちょっと古風な名前だ。
彼の名前は小林宙(そら)。小学生の頃から、ホームセンターで親に買ってもらったタネや苗を育てて収穫するうち、伝統野菜に出会う。特定の地域で栽培される固定種や在来種のタネは、誰かが守らなければ消滅すると知り、ならば理念をもって全国規模で流通させ、需要を増やす仕組みを作ろうと考えて起業に至った。
小林少年の試みは、自身がハブとなってタネを広げようとするところに独自性がある。育苗家でもなく、地域の種苗店でもなく、旅をしながら自分のアンテナに引っかかったタネを集めて売る自由さ。収穫効率がよくても一代限りしか使えないF1品種は扱わず、固定種や在来種を売るのは、遺伝的多様性を担保するため。それは、食の豊かさであると同時に、環境や社会状況の変動に揺らがないための、「僕たちの生存戦略」だと捉える視点がきわめて明確だ。
タネ探しを出発点として、見聞や思考の歩みが綴られる。タネをめぐる現状、F1品種やGM品種(遺伝子組換え品種)、品種改良の実際、農家と企業とタネとの関係、法律のありかた……語られる言葉は、倫理観やイデオロギーのために発せられるのではなく、あくまでもタネの現在と未来を手放すまいとする当事者の声だ。東京・神保町の書店を歩いて関連書籍を探し回り、熱心に農業書を読み込む姿は、音楽やスポーツに打ち込む少年のそれと何ら変わらない。
生い立ちや家族の背景も語られる。幼い頃から重度の食物アレルギーを抱え、さまざまな経験を積んできた。長男の挑戦を見守る両親の愛情、兄を慕う妹たち、地域の人々にも支えられて小林宙というオリジナルなタネが育っていることに心を動かされる。はたと思った。本書もまた「僕たちの生存戦略」のひとつなのだ、と。
巻末に「小林宙の宇宙」と題し、藤原辰史(ふじはら・たつし)氏(京都大学人文科学研究所准教授)の寄稿を附す。