書評
『海を失った男』(晶文社)
シオドア・スタージョンは、SFか幻想文学のファンにしか馴染みのない名かと思われ、しかも邦訳点数が多くないので、馴染みになりたくてもなりにくいという、まあ、カルト的雰囲気をまとった作家ではあるのだ。わたしにしたところで所有しているスタージョン本といえば、長篇ではミュータントもの『人間以上』、吸血鬼もの『きみの血を』、カーニヴァルもの『夢みる宝石』、短篇集では早川書房の異色作家短篇集シリーズ中最高傑作と謳われる『一角獣・多角獣』、今はなきサンリオSF文庫から出た『スタージョンは健在なり』と少ない。
こういう人口に膾炙(かいしゃ)していない作家を紹介するのは難しいんである。おまけに、一応SF幻想作家という括りに入れられてはいるものの、そういう呼び方も何だかなあと思えてしまう、つまりジャンルの枠に納まりきらない作品を書く人で、だから、“××もの”という紹介の仕方も暫定的措置にすぎず、読めば「吸血鬼ものではあるんだけど……」と、煮え切らない感想を抱いてしまうこと必定なのだ。
そんなスタージョンを、わたしはひそかに「突飛系」と呼んでいる。突飛なるものは慣習の世界の埒外にあって、それが何かの拍子に飛び出してくると人は不安を覚えることになっている。なぜなら、突飛なるものの背後には、それを自明のものとして組み込んだ今・此処(ここ)にある現実とは別の世界システムが広がっているやもしれず、突飛なるものが今・此処に現れることによってその隠されていた世界までもが立ち上がり、わたしたちを正気に保っているこの現実を呑み込んでしまうのではないかと思わせるからだ。スタージョン作品には、そんな狂気の道へと至る不安が横溢しているのである。
この短篇集を読めば、その意味は瞭然とするはずだ。首まで砂に埋まった男の内的世界を追求した表題作。醜い白痴の少女の美しい両手に魅入られた青年が、その手を自分のものにするまでを描いた「ビアンカの手」。思っていることを口にすることがなかった謎めく妻を交通事故で亡くした男が、墓地で出会った不思議な人物に墓を読む術(すべ)を学ぶ「墓読み」。そんな要約では何も説明したことにならない、これら三名作を含む全八作を読み終えて尚、あなたを取り囲む世界は、あなたがかつて“現実”と呼んでいた姿のままであり得るか――。
突飛な想像力と、多彩な文体と、深遠な思考実験。その粋が味わえる、これはスタージョン体験の第一歩として最適な一冊なのである。
【文庫版】
【この書評が収録されている書籍】
こういう人口に膾炙(かいしゃ)していない作家を紹介するのは難しいんである。おまけに、一応SF幻想作家という括りに入れられてはいるものの、そういう呼び方も何だかなあと思えてしまう、つまりジャンルの枠に納まりきらない作品を書く人で、だから、“××もの”という紹介の仕方も暫定的措置にすぎず、読めば「吸血鬼ものではあるんだけど……」と、煮え切らない感想を抱いてしまうこと必定なのだ。
そんなスタージョンを、わたしはひそかに「突飛系」と呼んでいる。突飛なるものは慣習の世界の埒外にあって、それが何かの拍子に飛び出してくると人は不安を覚えることになっている。なぜなら、突飛なるものの背後には、それを自明のものとして組み込んだ今・此処(ここ)にある現実とは別の世界システムが広がっているやもしれず、突飛なるものが今・此処に現れることによってその隠されていた世界までもが立ち上がり、わたしたちを正気に保っているこの現実を呑み込んでしまうのではないかと思わせるからだ。スタージョン作品には、そんな狂気の道へと至る不安が横溢しているのである。
この短篇集を読めば、その意味は瞭然とするはずだ。首まで砂に埋まった男の内的世界を追求した表題作。醜い白痴の少女の美しい両手に魅入られた青年が、その手を自分のものにするまでを描いた「ビアンカの手」。思っていることを口にすることがなかった謎めく妻を交通事故で亡くした男が、墓地で出会った不思議な人物に墓を読む術(すべ)を学ぶ「墓読み」。そんな要約では何も説明したことにならない、これら三名作を含む全八作を読み終えて尚、あなたを取り囲む世界は、あなたがかつて“現実”と呼んでいた姿のままであり得るか――。
突飛な想像力と、多彩な文体と、深遠な思考実験。その粋が味わえる、これはスタージョン体験の第一歩として最適な一冊なのである。
【文庫版】
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初出メディア

ダカーポ(終刊) 2003年9月3日号
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