書評

『ディフェンス』(河出書房新社)

  • 2020/08/02
ディフェンス / ウラジーミル・ナボコフ
ディフェンス
  • 著者:ウラジーミル・ナボコフ
  • 翻訳:若島 正
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(279ページ)
  • 発売日:2008-09-19
  • ISBN-10:4309204996
  • ISBN-13:978-4309204994
内容紹介:
ナボコフの「最初の傑作」にして最高のチェス小説、待望の復刊! 天才チェスプレイヤー・ルージンに唯一の幸福をもたらすはずのチェスが、彼を狂気と破滅に追いやっていく――何よりもチェスを愛した作家が描く、孤高の物語。
ゲームの王様って一体なんだろう。日本人なら囲碁とか将棋とか答えそうだけれど、西洋人にとってのそれはチェスに違いない。ロシア生まれにもかかわらず、英語で小説を書いたことで知られる亡命作家ナボコフが、まだ母語で作品を発表していた時代に書かれた初期の傑作の主人公が、そのチェスの天才だ。

作家の息子として生まれたルージンが、気難しい子供時代を経て、チェスと出会い、プロの選手として世界を転戦し、美しく優しい伴侶を得ながらも、狂気のうちに自殺してしまう――。とは書いたものの、素晴らしい小説が常にそうであるように、これもまたそんな粗筋紹介がほとんど何の意味も持たないディテール命の作品なのだ。

彼が求めている秘密は単純なもの、調和のとれた単純さであり、それこそがこの上なく精密にできた魔法よりもはるかに人を驚かせることができるのだ。

チェスに出会う前、手品に魅入られたルージンの内なる声を綴ったこの文章は、同時にナボコフの小説作法も物語っているような気がしてならない。ある章で描かれたディテールが別の章で起きる出来事の細部と呼応しあったり、ある人物の行為が見えないところで別の人物の行動に影響を与えたりと、作品の構造全体をチェスという知的ゲームの手筋に重ねた『ディフェンス』は、あらゆるところにナボコフの文学理論が行き渡っている非常に理知的な小説なのだ。にもかかわらず、読む者に「難解」という苦痛を与えることがない。読者は、ルージンという類(たぐい)まれなる変人の生涯に惹かれて読み進めるだけでいい。なんせもう、その奇矯さときたら! チェスに不案内な婚約者の父親から時候の挨拶程度にふられたチェスの話題に、相手の迷惑かまわず食いつき、延々と手筋について話し続ける非常識さや、衛生観念のなさ、チェス以外はまるで無能なダメ男ぶりと、キモヲタ的な笑えるエピソード満載なのだ。

チェスのルールを知らなくても大丈夫。上品なナボコフは「どうだっ、頭がいいだろう」といった、これみよがしな書き方をしないから。時々ものすごく細やかな伏線の張り方に気づかされて小さく溜息をもらしてしまう。これは、そんな品のいい小説なのだ。

【新潮社版】
ナボコフ・コレクション ルージン・ディフェンス 密偵 / Nabokov,Vladimir
ナボコフ・コレクション ルージン・ディフェンス 密偵
  • 著者:Nabokov,Vladimir
  • 翻訳:杉本 一直,秋草 俊一郎
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:単行本(377ページ)
  • 発売日:2018-12-26
  • ISBN-10:4105056085
  • ISBN-13:978-4105056087
内容紹介:
自らが愛好するチェスへの情熱と構成美を詰め込んだ傑作長篇、謎の視点人物の語りが驚きをもたらすハードボイルドな中篇を収録。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。



【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

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ディフェンス / ウラジーミル・ナボコフ
ディフェンス
  • 著者:ウラジーミル・ナボコフ
  • 翻訳:若島 正
  • 出版社:河出書房新社
  • 装丁:単行本(279ページ)
  • 発売日:2008-09-19
  • ISBN-10:4309204996
  • ISBN-13:978-4309204994
内容紹介:
ナボコフの「最初の傑作」にして最高のチェス小説、待望の復刊! 天才チェスプレイヤー・ルージンに唯一の幸福をもたらすはずのチェスが、彼を狂気と破滅に追いやっていく――何よりもチェスを愛した作家が描く、孤高の物語。

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