書評
『あいまいな会話はなぜ成立するのか』(岩波書店)
歩み寄り推論 「ほどほど」の妙
リモートでの取材や対談収録が増えたが、慣れないし、慣れたくない。音声や映像が一秒ズレるだけで多くの情報が失われる。相手がどのタイミングでうなずいたのかが正確に読み取れないだけでコミュニケーションに難が生じてしまう。私たちは日々、双方から歩み寄るようにして、間接的な会話を理解し合う。
妻「コーヒー飲む?」
夫「明日ね、出張で朝が早いんだ。」
このやりとりには、イエスもノーも示されていない。だが、「コーヒーは飲まない」という「含意」はある。それを互いに一瞬で理解する。男性が、恋人と行くはずだったチケットを、後輩の女性に「ライブのチケットが2枚あるんだけど」とゆずろうとする。急用が理由なのだが、女性はデートに誘われているのではと困惑する。この時、「えっと、自分とデートして、ということではなくて、あなたが行きたい誰かと行ってください、ってことですよ」と続けたら、だいぶ過剰な説明になる。
推察し、歩み寄る会話を繰り返す。なぜ私たちは「情報伝達の点では非効率な間接的表現を好んで使うのか」。こういう意味ではないか、という推論は「『ほどほど』のところで止まる」。止まった上で「関連性を予測」していくのだ。
食事に誘われ、「結構です」と断るのと「体調が悪い」と断るのでは、後者のほうが間接的。でも、「間接的発話は直接的発話よりも得られる情報が多い」のだ。
推論がどのように収束し、いかにして理解し合うことができるのか、いまだに脳の働きとして解明できていない点が多い。今も昔もバラエティー番組などでは連想ゲームが行われるが、本来、連想の自然・不自然に正解はないはず。だが、「気持ち悪い→なめこ」は「本人の思い込み」と判定され、失格になった。
なぜ、合意が生じるのか。あいまいな会話を繰り返す私たち。分析できないのに反復しているのだ。
朝日新聞 2020年8月22日
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